奈良の県紙、奈良新聞(http://www.nara-np.co.jp/)に掲載されているコラム(国原譜)からです。
以下、「 」内は引用
まず文頭で「公開中の映画「終戦のエンペラー」で、がれきと化した東京の街が再現されていた」と。
これ以前から不思議に思っているのですが、そのGHQが本部とした「第一生命ビル」、そして東京では「丸の内ビルジング」、大阪では「ガスビル」や「大丸」「そごう」が残っていました。広島・呉では「大和」を建造したドックが数年前まで使われていました。「焼け野原」…、疑問が残ります。
そして、「昭和19年7月にサイパン島が占領されると、国内は米軍爆撃機の射程圏内となり、都市部の多くが空襲を受けた▼4年近くに及ぶ太平洋戦争の犠牲者は、終戦までの1年間で爆発的に増えている。サイパン島陥落が終戦に結び付いていればと思わずにいられない」と。
なるほど、たしかにそう思います。
まあ、私的にはたしかクラウゼウィッツさんが「戦争の目的は敵野戦軍の撃滅」とか言っていたように記憶していますので、サイパン陥落ではなく、レイテの後でしょうか。
そうなるとその後の世界地図大きく変わったはず。
人民中国はなかったでしょうし、満州へのソ連軍侵攻も食い止められた,、のでは。
まあ、そうなると日本は昭和20年で終戦でなく、米国とともに戦い続けたでしょうが。
さらに、このブログも英語で書いていた…?
まあ、「もし」の話ですけど。