The Voice of Russia に尖閣諸島問題の解説記事が掲載されています。
少々長いですがご覧ください。
以下、The Voice of Russia (http://japanese.ruvr.ru/2012_09_11/nihon-chuugoku-senkaku-ronsou-hajimari/ )より転載
尖閣・釣魚諸島、帰属問題の論争のそもそもの始まり
Ирина Викторовна Иванова(イリーナ ビクトローブナ イワノワ)
領土論争による日中の関係緊張化は進む一方だ。日本の一市民が地権者を有する尖閣諸島を日本政府が購入、国有化するという決定を採ったことに対し、中国は諸島は固有の領土であると見なしていることを明らかにした。日本は尖閣諸島は法律上日本に属すると主張している。この論争の発端は実は何世紀前にもさかのぼる。
中国人の歴史家たちは、尖閣諸島は明朝(1368-1644年)の時代にすでに中国の領土であったと断言している。その根拠として、1534年チェン・カンの著した『在琉球大使館についての手記』を引用してされている。このチェン・カンという人物は明朝の第12大使館の大使を務めており、手記には大使館の船が釣魚島(尖閣諸島の中国名)付近を通過しているという記述が認められる。ただし、島の所属については手記には何の記述もない。これについて日本人歴史家の井上清氏は、チェン・カン氏は釣魚島の帰属はあまりにも明白であったため、これを記述する必要性を感じなかったのであろうと解釈している。
日本のほかの歴史家らは、この諸島は中国人だけでなく、琉球王朝にも日本の漁民らにも「ユクン・クバシマ(ユクンは琉球語で魚の意味)」または「イグン・クバシマ(イグンは琉球語で銛の意味)」という名前でよく知られていたと指摘している。これらの名称は「釣魚島」と並び、魚の取れる場所という意味を持つ。ただし、この名称が記述された形で日本語の文献に登場するのは中国語での記述よりもずっと後のことだった。中国の歴史家らは、18世紀末に日本で作られた地図にはこの諸島は中国の領土の一部として記載されているとまで主張している。
1870年代、琉球諸島は武力によって日本の領土に組み込まれ、沖縄という名称を得たことによって、中国との従属関係が絶たれた。ところがこれに隣接する位置にある尖閣諸島の地位がそのまま温存されたかどうかについては不明なのである。沖縄県知事は日本政府に対し、尖閣諸島に日本への帰属を意味するためタワーを立てる許可を申請したが、中国を必要以上に刺激することを恐れた日本政府は、尖閣諸島は無人島であり、誰の領土でもないということを理由にタワー建設要請を退けた。にもかかわらず、日本政府は諸島付近の水域で日本の漁民が操業することには関与しなかった。そしてまた中国政府もこのことには異議を唱えなかったため、これで日本側は、中国は「釣魚島」を自国の水域だと見なしていないのだろうと思ってしまったのだ。
しかし、諸島の運命を決めたのはこのことではなく、1894年の日清戦争だった。戦争は翌年1895年に中国の敗北で終わり、下関講和条約では中国は日本に対し、台湾と逸れに付属する澎湖諸島と遼東半島を引き渡すことが義務付けられた。釣魚島はこの文書には明記されていなかったものの、1896年3月には尖閣諸島の名称で日本の領土に組み込まれ、日本人企業家の古賀辰四郎氏によって積極的な開拓が開始された。
日本人研究家のみならず、中国人研究家らもまさにこの下関条約によって釣魚諸島は日本の領土となったと捉えている。中国政府はこれを理由に、釣魚諸島は、このほかの占領地である台湾、澎湖諸島とともに1951年のサンフランシスコ講和条約にしたがって中国に返還されるべきだと主張している。
サンフランシスコ条約には尖閣諸島についての記述はわざとなされていない。このことから、諸島は米国の支配に残されたとする帰結がなされる。ただし、米国は長年にわたり地権者である古賀辰四郎氏に借地料を払い続けていたことから、諸島は事実上日本の所有であったという帰結を出すことが可能なのだ。
尖閣諸島(釣魚諸島)の領有権を中国が主張し始めたのは、1960年末、島付近の大陸棚に石油とガスが埋蔵されていることが発覚してからのことだった。それまでは島は台湾の漁場にとどまっていたが、1969年台湾も油田、ガス田のある場所は自国の領域であると主張しはじめ、諸島の1島に国旗を立てる挙に及んだ。1971年10月30日、中国外務省は公式的な声明で釣魚諸島は中国に帰属し、明朝、清朝時代から固有の領土であったと主張したことから、日中で本格的な領土論争が開始されたのである。
以上、転載終わり
注目は
「サンフランシスコ条約には尖閣諸島についての記述はわざとなされていない。このことから、諸島は米国の支配に残されたとする帰結がなされる。ただし、米国は長年にわたり地権者である古賀辰四郎氏に借地料を払い続けていたことから、諸島は事実上日本の所有であったという帰結を出すことが可能なのだ」
です。
イリーナさんええこと言うわ。