大津皇子が磐余池の堤で詠んだとする辞世の歌
「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」
日本書紀や万葉集に登場しながら所在地が不明だった古代のダム「磐余池」とみられる6世紀の池の堤跡が私の住む隣町(市)の奈良県橿原市東池尻町で見つかりました。
以下、中日新聞より引用
「池は国内最古で、堤跡の上では、大型建物跡も発見された。磐余池のほとりに造ったとされる聖徳太子の父・用明天皇の「磐余池辺双槻宮(いけのべのなみつきのみや)」の可能性を指摘する研究者もおり、飛鳥時代以前に大和王権の中心地にもなった「磐余」地域の歴史を解明する大きな手掛かりとなる。
市教委によると、見つかった堤跡は80メートル分。低い丘陵の上に土を積み重ねた構造で、高さは池の外側で約3メートルと推定。堤は周辺地形から、全長330メートル、最大幅55メートルの規模とみられるという。池の面積は8万平方メートル前後とみられ、これまで最古とされた7世紀初めの大阪府・狭山池の3分の1程度の池だったらしい。
大型建物は南北17メートル以上、東西4メートル。時期が6世紀後半ごろで、用明天皇の「磐余池辺双槻宮」の時期と重なる。
朝鮮半島由来の大壁建物と呼ばれる6世紀後半以前の建物跡も見つかり、土木技術にたけた渡来系集団が池を造ったとみている。
日本書紀などは、「磐余」の地名を冠した4人の天皇の宮や池にまつわる物語を伝える。万葉集は、謀反の罪に問われた天武天皇の子、大津皇子が磐余池の堤で詠んだとする辞世の歌(巻3・416)を載せる。 調査した平岩欣太文化財課保存係長は「調査地西側にも建物が想定される。継続調査で池の実態を明らかにしていきたい」と話す。
現地見学会は17日午前9時~午後3時。
以上、引用終わり
興味深い発見です。
まだ、「磐余池」と決まったわけではありませんが、今後の発掘が俟たれるところです。
17日は冷えるそうです、現地説明会に出かけられる方は暖かくしてお出でください。