昨日、第30回太子道をたずねる集いが行われました。
これは聖徳太子が斑鳩宮から飛鳥に通ったとされた道を歩くもの。
コースは法隆寺-上宮遺跡-歴史民俗資料館-油掛地蔵尊-太子腰掛石-多神社-蘇武橋-小懇田宮跡附近-橘寺で約20キロ。
私的には聖徳太子が毎日この道を通っていたかは…?です。
私は大化の改新は中大兄皇子ではなく大海人。そして皇極天皇ではなく山背大兄王が天皇になっていたと考えています。
ややこしいことをさらりと言いましたが、本日はそっちではありません。
地元新聞からの抜粋です。
「参加者は午前8時半に同寺南大門を出発、太安万侶の出身地として知られる田原本町の多神社では、大野玄妙管長も加わって般若心経を唱えた」
違和感感じた方。
いくら神仏習合があったとはいえ、神社で「般若心経」ですよ、それも法隆寺の管長が。
と、いっても違和感を感じなかった方
Vous etes japonais
です。
じゃ、違和感感じた私は…?