昨日行われたF1インドGP予選。
1位はベッテル。
そして小林可夢偉は17位。
同じくザウバーのペレスが20位なのでこれはドライバー云々の話ではありません。
フォース・インディアのスーティル が8位というのは立派、やはり地元開催で気合が入っているのでしょうか。
インドGP、初の開催です。
ついにというかとうとうというかインドにF1が上陸しました。
私が興味を持ち始めた頃には考えもしなかったことです。
そしてサーキットは
「ブッダ・インターナショナル・サーキット」
ご大層な名前を付けたものです。
まあ、インドといえば仏教発祥の地ですが…。
しかし、ゴーダマさん(仏陀)が見たらなんというか、聞いてみたいです。
維摩経です。
爾時文殊師利問維摩詰言。菩薩云何通達佛道
維摩詰言。若菩薩行於非道。是為通達佛道
又問。云何菩薩行於非道
答曰。若菩薩行五無間而無惱恚
至于地獄無諸罪垢
至于畜生無有無明憍慢等過
至于餓鬼而具足功德
行色無色界道不以為勝
示行瞋恚於諸眾生無有恚閡
示行愚癡而以智慧調伏其心
その時、文殊師利が維摩詰に問いました、『菩薩は何のようにして仏道に通達するのがよいでしょう?』
維摩詰が言います、『もし菩薩が非道を行えば、仏道に通達しよう。』
また問います、『菩薩は何のように非道を行うのがよいでしょう?』
答えます、『もし菩薩が、五無間(殺父、殺母、殺阿羅漢、従仏身出血、破和合僧)を行っても、悩みと怒りは無い。
地獄に堕ちても、諸の罪と煩悩は無い。
畜生に生まれても、愚か、軽慢などの過ちは無い。
餓鬼になっても、衆生済度の力は備えている。
色界、無色界の天に生まれても、それを勝れた世界だとは思わない。
貪欲であるように見えても、執著することは無い。
諸の衆生について怒っているように見えても、衆生済度の妨げにはならない。
我あり、我が物ありと思っているように見えても、智慧があるので心は囚われることなく自在である。
国訳解説 維摩経より
これを読んで
あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。
あなたは、いのちの道をわたしに示し、み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであろう』。
兄弟たちよ、族長ダビデについては、わたしたちはあなたがたにむかって大胆に言うことができる。彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、わたしたちの間に残っている。
彼は預言者であって、『その子孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。
このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。
使徒伝2章27-31節)
を思い出しました。
おっと、F1とは違う話に…。
F1インドGP、まもなくスタートです。