東大寺で神事と法要 | andrewさんのブログ

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昨日、奈良・東大寺で東日本大震災の犠牲者の慰霊と被災地復興祈願を鎌倉・鶴岡八幡宮と東大寺が合同で神事と法要が行われました。


東大寺と鶴岡八幡宮は、源頼朝との縁で鎌倉時代から800年の交流があり、被災地復興を祈る行事は、6月12日に鶴岡八幡宮で行った合同行事に続いて2度目です。


両社寺合わせて約350人が参列し、宮城県で家族を失った被災者も参列して冥福を祈りました。大仏を前に東大寺の北河原別当を導師、鶴岡八幡宮の吉田宮司を斎主として執り行われ。北河原別当の祈願文に続き、大仏殿壇上で大般若経を転読。神楽「浦安の舞」も奉納されました。


たぶん、大半の方はこれをすんなりと受け入れ、良いことだと思ったのでは。


まあ、日本には神仏習合というのがありましたので別段と…、でしょうが。


しかし、宗派を越えるだけでも大変なのに宗教を越えています。


これはすごいことです。


宗教といえば、たとえばその国、地域、社会で信仰されている宗教の敬虔な信者であればそこの良い人ということになります。


また、そこの宗教の戒律に従っていればそこの警察のお世話になることはありません。


私的には宗教・信仰というものはその人のベース、今流れにいうとOSといってよいと考えています。


しかし、先のように宗教を越えて…、が行われるということは宗教がOSではないということになります。


そう、OSは別にあって仏教アプリと神道アプリがその上で走っている。


日本人が持つOSにはそれが可能なようです。


たとえば欧州や中東の方にキリスト教とイスラム教のアプリを同時に知らせるのは無理だと思います。


と、いうかキリスト教、イスラム教が彼らのOSなのでその上で他の宗教アプリを走らせることは不可能(可能な宗教アプリもあると思いますが)でしょう。


日本人のOS、不思議です。