昨日、4世紀の神殿跡の可能性が高い遺跡が発掘された奈良・秋津遺跡。
地元新聞の記事では
奈良新聞より
ヤマト王権の成立期で、謎の多い古墳時代前期(4世紀前半)に営まれた大規模施設群が注目されている御所市條の秋津遺跡で、屋根を支える柱が外側に立つ独立棟持(むなも)ち柱建物が8棟あったことが分かり、23日、県立橿原考古学研究所が発表した。神殿を連想させる特殊構造の建物で、橿考研は「祭祀(さいし)や儀式の建物だった可能性がある」としている。
同遺跡には、堅固な柵を巡らせた方形区画が計画的に建ち並び、その南北に一般居住空間が形成されていた。50~100年間、建て替えを繰り返しながら維持されたという。
柱穴を詳しく調べたところ、8棟分の独立棟持ち柱建物を確認した。最大は10メートル以上の辺を持つ床面積70平方メートル以上の建物。全て方形区画内にあり、特別な空間として認識されていたことが分かる。
独立棟持ち柱建物は弥生時代に出現し、古墳時代には小型化していく。桜井市の纒向遺跡(3世紀前半)にもあり、兵庫県松野遺跡(6世紀初め)などが知られる。
伊勢神宮正殿に見られる神明造りに近いとされ、祭祀建物や倉庫の可能性が考えられるという。床を支える束柱があり、重量物に耐える構造だった。岡田憲一・主任研究員は「用途は断言できないが、独立棟持ち柱建物がまとまった数で存在したことが秋津遺跡の特徴」と指摘した。
また、方形区画エリアの南側で、大小の竪穴住居跡27棟分が見つかった。いずれも方形で一辺3~5メートルが平均的。最大は一辺約9メートル。出土した土器から、時期は方形区画と同じと分かった。方形区画を営んだ有力者か、その下位集団の住まいなどが考えられるという。
秋津遺跡は縄文時代晩期(約2500~2800年前)のノコギリクワガタの雄1匹の全身(体長約63・5ミリ)が見つかった所で有名になったばしょです。
また、祭祀用とみられる馬の歯なども出土しており、3世紀の邪馬台国には馬はいませんでしたが、4世紀の秋津には馬がいたと思われます。
約百年の間になにがあったのか。そして次の百年でヤマト朝廷を迎えます。その百年もなにがあったのか研究が俟たれます。