昨日、7月7日、七夕でした。
ブロガーさんたちのブログを見ていると
「願い事…」
がさすがに多かったようです。
「願い事」
自分の為に祈ることが許されないキリスト教徒としては…。
もちろん、七夕に願い(祈る)をなんてことはしません。
そういえば、大概の日本人はお寺や神社等に行ったとき、何を拝んでいるのでしょうか。
また、テレビや映画等でキリスト教のミサのシーンが出てきたときにこの人たちは何を祈っているんだろうと思ったことはありませんか。
お寺や神社では大半の人が自分の為に拝む(祈って)いるのでは…。
また、教会のミサでもちろん自分の為ではなく「神」の為に祈っています。
例えではないですが祈祷文です。
天主経
天に在す我等の父や。
願は爾の名は聖とせられ。
爾の國は來り。
爾の旨は天に行はるるが如く、
地にも行はれん。
我が日用の糧を今日我等に與へ給へ。
我等に債ある者を我等免すが如く、
我等の債を免し給へ。
我等を誘に導かず、
猶我等を凶惡より救ひ給へ。
漢字が多いのでローマ教会のも
主祷文
天にましますわれらの父よ、
願わくは、御名の尊まれんことを、
御国の来たらんことを、
御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。
われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。
われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。
われらを試みに引き給わざれ、
われらを悪より救い給え。
この祈祷文で天主経では「爾」。主祷文では「御名」「御国」「御旨」のところを「自分」にしていませんか。
「自分」にしているところを「神」とは言いませんが「信じるもの」にして拝ん(祈って)みては…。