昨日、奈良・東大寺で東日本大震災の復興祈願が神仏合同で行われました。
神仏合同だけではなく、宗教、宗派を超えて各地で行われています。
でもこれって世界的にみた場合なかなか凄いこと。
日本の場合神仏習合があったので、いまでもお寺なのに鳥居があり、神社なのに五重塔があったりしてもなんの違和感もありませんから神仏合同は不思議でもなんでもないことですが…。
しかし…。
考えてみると日本の坊主は大概が妻帯をしています。
親鸞が妻帯した浄土真宗は別して、これはある意味ありえないこと。
僧侶が妻帯するようになったのは明治に入ってから、太政官布告で結婚してもよいとお触れがでてから。
これって、世界の宗教ではありえないこと。
宗教の定義をあえて上げれば
「科学的で証明できないことをしんじること」
「なんらかの絶対の規範があること」
になると私は考えます(例外はもちろんありますが)。
となると時の政府が許可すれば戒律を変え(破)っても…、とはまさにありえないこと。
これを考えるに日本の坊主は仏教の戒律だけではなく、別の規範が働いていたことになります。
神仏合同、宗教宗派を超えて、なんか外野の人間としては心地よい響きですが、これが行えるなにかが日本にはあるようです。