私が読んでいる新聞に連載されている小説、堺屋太一氏の「三人の二代目」もそろそろ終盤、来週くらいで関が原の突入か。
で、史実では関が原の後に徳川家康が権力を握り豊臣は滅亡へ、ですが。
私は家康は豊臣家を滅ぼしたくなかったと思っている。何故か。別に秀吉に恩義があるからとかそういうのではなく、利用価値があったから。
歴史を見てみましょう。特に鎌倉以降の武家政権、これは常に朝廷との均衡が存続の条件。
そう将軍様の位も朝廷から貰うのだから。
で、幕末。
先日終わった「龍馬伝」このなかで長州征伐で、幕府の命に従わなかった薩摩。そして長州、薩摩などは幕府ではなく朝廷、そして倒幕。
そう均衡が朝廷にいったのです。
しかし、もし朝廷の最高位に徳川家の家来がいたら。
そう、豊臣家。
徳川宗家が将軍職をそして豊臣家が関白職を継い(世襲)でいれば。
それに豊臣秀頼の奥さんは二代目秀忠の娘。
そう代々、豊臣家に徳川の姫を嫁がせれば、将軍は関白のおじいちゃん。
こうすれば、幕府は朝廷に「奏請」という形をとっていたが、「そうせい」ですむ。
そうなれば、いまも東京ではなく江戸、将軍様がいたかも。
まあ、淀殿がいたかぎりでは無理でしょうが。