9月19日、いまになって雲が出てきたので少々涼しくなりましたが、さっきまでは33度はありました。あすからお彼岸さんですが、いったいいつまで夏が続くのか…。
暑いといえば、魏志倭人伝の記述で邪馬台国の気候はけっこう暑い印象を受けます。魏の使者は夏にきたのか。しかし、当時(3世紀頃)は寒冷化していた頃でけっこう涼しかった筈なのに。
そういえば、三内丸山遺跡や北海道の縄文遺跡、特に北海道は寒ければマイナス40度くらいまで冷えるのによくそこで狩猟採集生活をしていたものだと関心します。もっと温かい所に居住すれば良いと思うのは私だけでしょうか。
で、邪馬台国ですが魏志倭人伝の道程に従えば沖縄辺りになってしまいます。実際魏志倭人伝には「会稽」の東とありますので、まさにその辺りとなります。
うーん。
で、「混一疆理歴代国都之図」というのがあります。日本の室町時代に朝鮮で作られた地図ですが、これには日本が90度ひっくり返っています。これなら魏志倭人伝通りの道程で大和の地に来ることができます。
しかし。
日本が90度うごきますか?
たしかに北海道沖の地震の時に周辺の島が一晩で2メートル近く動いたとかいうのがありますし、奈良のキトラ遺跡の天体図が現在と比べ45度ずれていたというのも。
でも。
それなら東北や北海道が完全に熱帯になり栗ではなくマンゴーなど熱帯の植物跡がなければいけませんが、もちろんそんなものはありません。
うーん。
きのうも書きましたが「狗奴」に魏の使者、または誰かが行かなかったか。狗奴が東海地方なら行っててもおかしくないのに。
その辺に「カギ」があるのではと思っているのでうが…。
でも、邪馬台国は奈良・桜井市の纒向遺跡は間違いありません。