幅があるので決定的にこうこうこうだ。 ということが難しい。
メイクというカテゴリィに限ればいいのだが、逆に狭くなってしまうので、それも困る場合がある。
まあ、今回の場合は、メイクにしぼって。
食品を扱う場合のメイクは、基本的には、しないに越したことが無い。
特に作る作業などでは。 あと、食堂なども。
ただ、私が言うだけのことで、一般論とも言えない。
素顔でも通用するようにすればいいだけの話ではないかと。
夕陽がすごかった。
こういった自然の表現って、毎回思いますが、凄い。それだけ。
私の提言するキレイは、凄くはない。ですが、印象に残るということはある。
違和感が無く、さり気ないのに、印象に残るということは、本質を捉えているということに他ならない。
ズキッてなる必要は無いのです。
フッと風が吹いているくらいでちょうどいい。
一皮剥けたという感覚を、自分で持てるといいのですが、客観的な観察の方が見えやすいもんなんですね。
わざとらしさよりは、さり気なさなのですが、それが難しい。
結局、手っ取り早くできるほうになりやすいものですからね。
時間をかけてなんぼの世界がキレ イの世界だとしたら、中々手を出しにくいものなのかも。
それによってキレイの持続ができれば、それに越したことは無い。
それには、代謝能力の維持が出来ればいいんですね。
そのためには、よく動いて、よく食べて、よく眠る。それだけでいいんです。
基礎代謝は、身体のバランスですから、そういったことさえ出来れば。
その結果のご褒美は、モノに頼らない美を手に入れられるんです。
眉が丁寧に扱われるのが好きです。
何故なら、必ず、その人はキレイを手にしますから。
と言っても過言ではないんですね。
自然の眉の持つ表現のありかたなんですが、単に、喜怒哀楽だけではなく、心情を表すことまでが出来るんです。
そういった微妙な表現は、作った眉では難しいものがあります。
つまり、メイクとは、表現の一つなんだけど、微妙というものは、作れない。
キレイと、微妙は同居しているんですね。
ナチュラルな感じのメイクがいいと、私がお勧めするのは、物真似のメイクに終始している人が多いので、そのことへの、警鐘を鳴らすためなんですね。
やはり、オリジナルな感じって、個性の表現の一つなんだと。
メイクの持っている表現のあり方とは、その人の心の在り方。
作ったメイクは、それだけのことで、自然を大切にするならば、それは、個性となりますね。 そして、その中心的役割を担っているのが、眉なんですね。
しかも、自分の持っているものを 生かすということでです。
ナチュラルメイクで大切なことは、自前の眉使えるかどうか。
大袈裟に言えば、眉さえあれば、他は何とかなる。
というよりは、他はなにもしなくてもいいんです。
自前の眉も、できるだけ、手を入れずに済むのならそれでいいし、少し必要なら、その少しだけをすればいい。
メイクとは、塗ることだけがそれではない。
演じ切るというのも、メイクの手法の一つに成り得ますから。
あくまでも自前の眉を生かすこと。
つくってのキレイは、本物のキレイではないんですね。
表情がいびつになってしまいますからね。
やはり、どんな場面でも、崩れないということはたいせつなんです。