俺は随分と長い間、草むらに横たわっていたらしい。傷の痛みで、とぎれとぎれに覚醒と夢の中を繰り返していたようだ。 夢の中にオスカルが、いた。あの鮮烈な青い輝きはその瞳からは失せ、悲しくて儚げな表情を見せる最愛の女。 俺を見ながら切なそうに遠くへ行ってしまう。それも、歩いて行ってしまうのではなくすうっと溶けていきそうで、俺は猛烈な恐怖感、いや、喪失感にとらわれた。
「オスカル! 行くな、行くな、行くな―!!!!!!! 」夢の中で叫んでいたのか、現実に声をだして叫んでいたのか、定かではないが、しなやかで、骨ばった大きな手にがっしりと手を握られた。そこで俺は目が覚めた。
「大丈夫ですか? ここの裏庭・・・といっても草むらだが・・・君はそこに倒れていたんだ。傷はそんなにひどくないけど、 高い熱とひどくうなされていたので、心配していた。」
ここはどこだ!? 俺は記憶をたぐり寄せてみる。ああそうだ。司令官室で執務中、オスカルがおびただしい血を吐いた。 そう、俺の弱った視力でもはっきりとわかるぐらいの鮮血を。そのあとは言うまでもなかった。あいつの吐血に逆上した俺は、オスカルに詰問した。
何時からだ? 何故言わなかった? 何故、何故、何故・・・
頼むオスカル。 抵抗してこい殴りかかってこい、子供のころみたいに。 でも、お前は「医者には
診せた。」そう言ったっきり、唇をかんでうつむいた。 ちがう、こんなの、俺のオスカルじゃあない。
俺は気が付いたら兵舎を飛び出ていた。走って走って、何かの衝撃・・・だめだ、後は何にも思い出せない。
それにしても、この見慣れない空間・・・消毒液のニオイと清浄な空気のニオイが溶け合い、清潔なシーツが敷かれている。そして俺を心配そうに覗き込んでいる黒い髪と黒い瞳のこの男は誰だ? 俺と同じ、髪と瞳の色を持ちながら、明らかに彼は外国人だ。 長身で、長い髪を無造作に束ねている。
「あ、ありがとうございます。 助けていただいてなんとお礼を言ったらよいか・・・ただ、ここは
どこでしょうか。 そしてあなたはどなたでしょうか。 私の名はアンドレ。アンドレ・グランデイエ、
と申します。」
フランス語、 通じるかな? 仕方がない。俺はフランス語と片言の英語しか、しゃべれないし。でも、驚いたことに、彼は流暢なフランス語で答えてくれた。
「ここは、日本だよ。 僕は医者で、栗原といいます。 この小さな町で診療所を開いているんだ。
君は・・・フランス人、だよね?」 日本? 何故俺が日本に? さっきまでオスカルと一緒に司令官室にいたじゃないか。 更に俺は最もあってほしくはない事実を確認しようとした。
「 あの・・・今日は何年の何月何日ですか? 」
「 今日は7月6日。2016年のね。」 2016年・・・まさか!! 俺は1754年生まれ。さっきまで俺は1789年のフランスにいたんだぞ? それに、重ねて言うが、日本だって? オスカルと二人、小さい頃に読んだ本の中に出てきた、不思議な装束の人々が住む東の果ての国だぞ。嘘だ、嘘だ、嘘だ・・・!
目の前の”クリハラ”という人が医者? 俺の知っているラソンヌ医師の持つ医者独特の雰囲気とは全くかけ離れている。 パリのカフェでギャルソンでもやっていれば、さぞやご令嬢たちが足しげく通うだろうな・・・と思わせるような、優男。
もっとも、 当のクリハラ先生は、天井に張り付いている灯り(これが、すごく明るい。ローソクの明るさの比じゃない。) の下で、ゆったりとコーヒーなど、啜っている。俺は何がなんだか、わけがわからなくなってしまった。
「コーヒーでも、どうです?」 クリハラ医師はそう言って、俺にブラックコーヒーがなみなみと注がれた、マグカップを差し出した。 美味しい。
「僕は大学時代にフランス語を専攻していたから、片言のフランス語は話せるよ。ひょっとして、君は
フランス衛兵隊隊士、だよね。」
危うく飲んでいたコーヒーでむせかえりそうになる俺。
「君の軍服でわかったよ、フランス革命史に興味があったからね。 う~ん・・・信じてもらえないかも
しれないけど僕は数年前に200年ほど前のこの国に、タイムスリップした経験があるんだ。 そんな顔しないでくれよ。 何もかもが驚きだった。今ならば、どうってことのない手術さえ、命がけだったんだよ昔はね。僕はたくさんの人を治療した。 本当に現実なら確実に助かる初期段階で、多くの人が、命を落としていたんだ。」 一呼吸おいて、クリハラ医師は微笑んだ。
「君もタイムスリップしちゃったんだね。 最初見た時にピンときた。 なんていうのかな、遠い
時間からのニオイ? いや、気配みたいなものを感じたからかな。」
むろん、常人だったら、すぐに信じるわけがない。でも俺は、「オスカルを死なせるものか。」という狂気に近い心理状態だから、冷静な判断能力なんてものは欠如してた。 ただただ、”クリハラ”の顔を見た。暖かい目。そして、わずかにエタノールや、漢方薬やらのニオイが彼の衣服から漂っていた。
だか、待てよ? 2016年の医者ならば、オスカルの病を治すことができるのではないのか?
俺はもう、恥も外聞もなく、彼にすがりついた。
「クリハラ先生。あなたは200年前のこの国で、たくさんの人の病を治されたんですよね? ならば、私の恋人の病はなおりますか? かわいた咳が続いています。顔色は蝋のように白い。血をたくさん吐きました。何度も、何度も。」 俺は思い出せる限りの彼女の病状をクリハラ医師に伝えた。クリハラは根気良く、じっと俺の訴えを聞いてくれたのだが、・・・その答えは残酷なものだった。
「確かにね・・・現在の医学ならば完治できる”結核”という胸の病だ。でも君の時代では死病とされるものだ。それもかなり、段階が進んでいる。」 その現代の薬をかかえて、クリハラ医師を18世紀のフランスにひっぱっていけないだろうか・・・ああ、俺は何と、虫のいい、自分勝手な事を考えているんだ。 第一、今の俺は自分の状況をどうしたらいいのかも、わからないというのに。
猛烈な絶望感とともに、涙が自然とあふれてくる。
オスカル、 最愛の女、死病、・・・並べたくもないワードが頭の中で錯綜した
「ちょっと、一緒に来てくれないか。」 壁際につるしてあった白衣を無造作にはおり、クリハラ医師は俺に話しかけた。確かにこうしてみると医者だよな・・・などと妙に納得する俺。 彼にうながされるままに、俺は診療所内にいくつかある病室のうちのひとつに入っていった。
日当たりの良いその病室の窓にはモスグリーンの良質なカーテンがかけられている。その傍らのベッドには、やや、青白い顔をした女性が眠っていた。でも、眠れる森の美女? と一瞬見まごうほどに、起きていたら、さぞや、可憐な笑顔をふりまいているであろう彼女の顔。その彼女の脇にたつと、クリハラは枕元に顔を寄せて、眠れる美女にこうささやいた。
「ごめん、来るのが遅れてしまったね。具合はどうだい。今、患者の治療をしていたんだ。う~ん、患者というか、恋に悩める青年かな・・・・?」
そして、俺に聞かせるでもなく、ポツリとつぶやいた。 「僕のフィアンセなんだ。 去年、倒れてしまってね。 そのまま、意識が戻らない。」 俺はすかさずクリハラ医師の方を見た。今、何て言ったんですか、先生?婚約者が一年も寝たきり? 意識が戻らない、ですって? そんな・・・一見、ひょうひょうとしてみえる彼の姿がひどく痛々しく見えてしまった。 でも、そのあとの彼の言葉で俺の陳腐な考えは間違いだってわかった。
「 でもね、僕はけっして諦めてはいないんだ。 病気の原因を必ずつきとめてみせるさ。そのために大学病院を辞めて、ここにきた。 だって、彼女、爪も髪も、毎日伸びているんだ。生きているんだ。俺は絶対、彼女を諦めない。」クリハラのこの一言に俺は衝撃を受けた。
病室を出て、中庭に続くウッドデッキの手すりにもたれながら、俺とクリハラ医師はしばしの間、無言で庭に咲く季節の花々や、木々の緑を見つめていた。そして・・・
「アンドレ頑張れ。君の恋人は今、しゃべることができる。怒ったり泣いたりもするだろうけど、
笑うこともできるんだ。 今、一緒に分かち合える時を寄り添って過ごすことが何よりも大事な事なんだ。」
涙というものは本当に、ゆるやかな川の流れのように自然と溢れてくるものなんだな。先生、俺は先生の様に強くなれるでしょうか。俺は本当にダメな奴で、泣き虫で・・・でも、クリハラ先生、感謝します。俺達の将来がたとえ、明日、嵐に飲み込まれようとも、漆黒の闇に覆われようとも、彼女に寄り添って生きていきます。 その時、急激なめまいが俺を襲った。
「 アンドレ、アンドレ、アンドレー!!!」 懐かしく、愛おしい声、そして、兵舎の救護室の
ニオイ。 そして、オスカルの香り。そのオスカルがあの青い瞳の上に表面張力ギリギリの涙を浮かべて、俺の顔を覗き込む・・・っておい! クリハラ医師は? 俺は夢を見ていたのか? いや、そんなはずはない・・・!!!
「 気がついたか、アンドレ? よかった、本当によかった。 お前、兵舎の裏庭の小さな崖から下に落ちたらしい。倒れていたのをアランが担いできてくれたんだ。途中、呼吸が弱くなったり、心音が途切れ途切れになって・・・もうお前を失う恐怖はまっっぴらだ、あの馬車が襲われた時でもう、
たくさんだ。」オスカルが泣いたり、笑ったりする。表情がコロコロ変わる。俺は・・・幸せ者だな。
「お前、吐血はおさまったのか?」 俺はオスカルの金髪を指でからめとりながら、彼女の頬をそっと
包んだ。俺の手にすっぽりと入るすべらかでやや小さい顔。 「 ・・・今はおさまっているよ。あれから血は吐いていない。お前の声が聞けたから、お前の黒い瞳が開いたから、すごく嬉しくって元気がでたよ。」
「そうか・・・よかった。」 ベッドに横たわったまま、俺は彼女の両手の指先をしっかりと掴み自分の
胸に抱きよせた。甘い拒絶の言葉なんか無視して、俺は一層強く、彼女を抱きしめる。 オスカルの
暖かな体温がほっぺたごしに伝わってくる。
神様、感謝します。 私という人間に、この青い瞳と輝く金髪をもつオスカルという女性を引き合わせてくださったことを。 私は彼女に寄り添っていきます。もしも彼女の命が果てるなら、その時も俺は
その命に寄り添っていきましょう。
クリハラ先生、俺はあなたとの出会いを夢だとは思っていません。俺はあなたに巡り合えた。だからこそ今、感謝の気持ちをもって、彼女に向き合えているのですから。 あなたが、フィアンセと再び笑いあえる日はきっときます。だって、俺にこんな奇跡をもたらしてくれたんですから。俺は信じています。 神様に・・・祈っています。
救護室の外からは、アンドレの意識が戻ったのを聞きつけて、お見舞いと冷やかし目的の隊員たちがこっちに向かって近づいてくる靴音が聞こえてきた。
終わり
引っ越し第二弾です。大沢たかお様の「仁」というドラマに影響を受け、書いてましたね。
懐かしい。
