フランスの短い夏は、もうすぐそこまで来ていた。
少々蒸し暑くなってきたこの頃、一般庶民とは違い、軍服を着る職業の人々はきっちりと襟高のカラーを外すことなく毎日の軍務についていた。
中でもフランス衛兵隊はなかでも体を張る肉体労働も多く加えられる職務である。そのストレスは並々ならぬものがあった。
「アンドレ、その、左の書類を。」
「ああ、これだな?ふふっ。まるでとびきり美人の秘書をもったみたいだよ。」
司令官室から、オスカルとアンドレのデスクワーク中の何気ない会話と、何気ないジョークと笑い声が聞こえてくる。
その時・・・・「コツ、コツ、コツ・・・・」・・・几帳面で、実直な性格というものは、足音にもあらわれるのだろうか。ダグー大佐の軍靴の音が、ピロティから司令官室の方へ近づいてきた。3歩、2歩、1歩・・・実に正確にダグー大佐の足音は司令官室の前で、ぴたりと止まった。
今まで二人の間に流れていた、和やかで、少しばかり艶っぽい空気の中に、ピクリ、緊張が走る。
控えめなノックの後、入室の許しを得たダグー大佐は、敬礼の後、オスカルに用件を切り出した。
「隊長、今ちょっとよろしいでしょうか。 実は夏に向かって、外もずいぶんと遅くまで明るくなってまいります。隊員の洗濯物も多くなりましょう。月の面会日をもう一日増やして、一時間だけ延長してもらえないだろうか、という声が、彼らからあがっております。何せ、男臭い連中ばかりですからな。できればきいてやりたい・・と思うのですが・・・・。」
口数は少ないが、いつも分け隔てなく隊員を見守っているこの大佐に、アンドレのみならず、オスカルも敬い慕っていた。
「とても良い事だと思うよ、ダグー大佐。このご時世、そして蒸し暑くなってくる。だからこそたまに会える家族の笑顔は隊員達にとって、何よりも大切なものだ。私だって、男性ホルモン全開の職場はちょっとね・・・。」
オスカルは茶目っ気たっぷりにウインクした。「すぐに申請書を作成してください。すぐにサインをしますから。」
ほっと、和やかな笑顔になったダグー大佐は隊長に感謝の意を述べ、今度はアンドレの方に顔を向けた。「あと・・・これは別件で、先日お話しておいた書類です。ちょっと判をおすところが面倒くさいのですが、アンドレ・グランデイエ、君に頼めますか?隊長のお手を煩わせるほどの案件ではないのですよ。」そうして、大佐は大きさの違う何枚かの書類をアンドレに渡そうとした。
その時。アンドレが伸ばした右手がかすかに宙をまった。
オスカルはさりげなく、その書類を受け取り、アンドレに手渡した。「失礼、ダグー大佐。私のほうが近くにいたもので。アンドレには今、私がもっとも苦手とする書類をやっつけてもらっていたものだから。アンドレ、こちらもお願いする。腱鞘炎にならんように用心しておくれよ、ははは。」笑いながら、大佐には気づかれないように、オスカルはアンドレの左手を机の斜め左側にそっと導いた。その先に、今必要とされる印鑑があった。
ダグー大佐が退室した頃は、もうすでに日が暮れかかり、部屋の中は薄暗くなりかけていた。
オスカルはしばらくの間、うつむいて座っている。さっきまでの軽いジョークはなりをひそめ、彼女は何かを彼に、アンドレに訴えたかった。
「オスカル、すまなかったな。でも大丈夫だから心配するな。気を使わないでくれ。ぼんやりとだが、まだ見えているんだから。おまけに時々だが、俺には美人秘書がいる、だろ?」冗談を交えながら、アンドレの穏やかな声が室内の沈黙を破った。
「いや・・・夕暮れにさしかかっていて、部屋も薄暗くなっていたから・・・。」オスカルは言葉を探そうとしている。「 悟られてはいけないんだ、誰にも・・・お前の目の事は。 もしも、誰かに悟られてしまったら、お前は軍隊にいられなくなる。 ここにいられなくなる。そうしたら、私はどうすればいい? お前が一緒にいられなくなったら・・・・。」
「ロウソクつけような。暗くなって尻もちついたら、大変だ。」オスカルの心を察して、わざと陽気にふるまうアンドレの声と、オスカルの絞り出すような声がシンクロした。
「アンドレ、許してくれ。お前にこんな責め苦を負わしてまでも、私はお前を片時も手放すことができないんだ。」
その時、嗚咽を漏らそうとするオスカルの唇を、彼の長い人差し指がすうっと、左から右へ紅を引くようになぞった。
そして、ニッコリとウインクしながらアンドレは彼女に囁いた。「暗くなってきたな・・・俺が送り狼になっちまう前に、お屋敷に戻ろう。仕事も一区切りついた。たまには帰ろう。な?」
彼の言い分にうなづくように、空には星が瞬いていた。
数時間前、司令官室の窓から見えた空はまだ、ターコイズ・ブルーの絵の具を流したような、青色を呈していた。
今、オスカルの寝室のフランス窓から見える空の色は、深海を思わせるロイヤル・ブルー。部屋の中は漆黒の暗闇。その闇を燭台のロウソクの灯りが照らしている。
ロウソクの暖かな光に照らし出されているのは、オスカルの滑らかな白い肌と、流れるような金髪。そして傍らにはその白い肌をいつくしむアンドレの日焼けした肌と、黒い髪。
ついさきほどまで甘やかに激しい嵐に翻弄されていた二人は、嵐の余韻でやや湿り気を帯びたシーツの上で、息を弾ませ、お互いの汗を、いとおしみ味わっている。
「私の肌は、もう見えていない?」
「いや、はっきりとではないが、見えてるよ。お前のことはね、目だけで見ているわけじゃないんだ。俺の髪の毛一本、細胞の一つ一つがお前を愛おしいと感じているんだよ」
「そう・・・か。」
「それじゃあ、不満?」
「いや。 男に肌を晒すのは初めてだから、好きな男に触られるのははじめてだから、どんななんだろうって、心配になったんだ。」
「そんなこと、考えていたの?」あまりの愛おしさに、アンドレはオスカルの左頬に口づける。
「アンドレ・・・・。」
「何? 俺は今、世界で一番幸せな男なんだけど?」
「アンドレ、これからは私がお前の目になるから。つまり・・・目はその人の体の一部、だろう?」
「だから?」
「これからもずっと…お前の目を、私を離さないで。」
アンドレは何も答えなかった。代わりに彼の雄弁な唇は彼女の首筋から腰にかけて、背中を這わせ始めた。同時に彼の長い指が彼女の色々な部分に触れ始めると、彼女の体はピクリと跳ね上がる。
甘い声と、吐息の絡み合いが、またはじまる。
「離れない、お前から。」
「離さない。お前を」
絡み合う、濃淡の肢体を照らすのは、燭台のロウソクの光と、窓から差し込む月の光のみ。
長い時を超え、身分の壁を乗り越え、恋人同士となった二人に今、ロイヤル・ブルーの空は、またたく宝石を送り、祝福する。
FIN.
これも数年前の作品。下手なイラストだわ~。
