鏡シリーズ① | cocktail-lover

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ベルばらが好きで、好きで、色んな絵を描いています。pixivというサイトで鳩サブレの名前で絵を描いています。。遊びにきてください。

 1789年7月13日、オスカルとアンドレを皆が見送ったのち、お屋敷は何とも言えぬ静けさに包まれていた。数日前に届けられ、壁面に飾られているオスカルの肖像画の前で、ジャルジェ夫人が夫に支えられ嗚咽を漏らしていたのを誰もが知っていたので侍女という侍女、料理番、厩の男衆も全て、パリに向かった二人の無事を神に祈ることに専念していたからだ。

それから1時間ほどたっただろうか。オスカルの居室の扉がゆっくりと開かれた。
「失礼いたします、オスカル様。」主がいない部屋に入る時にも主に声かけし、礼儀正しく挨拶する彼女はマルギット。オスカルよりも10歳ほど年上の侍女。落ち着いた風情でありながら、何とも親しみやすい物腰の彼女は、マロン・グラッセからは深い信頼を受け、オスカルからは姉の様に慕われていた。
「お願いでございます、お嬢様。今すぐにでも衛兵隊をお辞めになって、出動などおよしくださいませ。」昨日、そう言ってオスカルの前で泣き崩れたマロンは、オスカルとアンドレを見送ったのち、自室に引きこもってしまった。そんなマロンをお茶に誘おうと部屋の前まで行くと、あの気丈な老女のすすり泣きが漏れ聞こえてきた。マルギットは思わず踵をかえして女中部屋へともどり、瞳を閉じて、呼吸を整えた。

よし、気を取り直さなくては。オスカル様がいつ戻られてもいいように、居室を整えてさしあげておこう。マルギットはそう自分に言い聞かせると、庭園に向かった。なるべく明るめの花ばかりを選び、オスカルの部屋の小テーブルの上に生けた。花瓶は華やかさを演出するよう、ベネチアングラスをえらんでみた。「飾りはこれでよし、と。」そう言って、次にマルギットははたきと柔らかなリネンを手に奥の寝室をノックした。「失礼いたします。オスカル様。」
 

何か・・・空気がいつもと違う。フランス窓は開けられ、レースのカーテンは風にひらひらと揺れている。それに加え、訳もなく、甘やかな柔らかな空気が部屋全体を包んでいるのだ。
「?」マルギットは寝台の方に目を向けた。すると・・・。
広い寝台をうつす大きな鏡が、マルギットをうつしだしていた。

「マルギット、少し話をしようじゃないか。」
「え?」
「鏡、鏡さ。オスカル様に何十年もお仕えしてきた鏡だよ。少しでいい、聞いておくれ、私の想い出話を。その中には、お前さんも登場しているのだもの…・。」

 オスカルが6歳の夏。嫁入前の姉達がジャルジェ夫人にならって、アリアやら、刺しゅうの練習に励んでいる時、オスカルは将軍から剣術の指導を受けていた。「ハア、ハア。」と激しく息をはき、地べたに両手をつく彼女。ブラウスの左袖は父の剣さばきでレースは裂け、泥だらけ。「お気に入りのブラウスだったのに…。」オスカルは唇をかんだ。「服が裂けたのは、自分の剣が未熟ゆえだ、オスカル。まだまだだな。」高笑いをしながら、彼女にくるりと背を向けて将軍は屋敷の中へ入っていった。

「オスカル様。さあ、体を綺麗に拭いて着替えましょう。マルギットが焼いたクッキーがあるのですよ。」オスカルを遠目に見ていたマルギットは、さり気なく彼女に近づき、屋敷の中へ連れ帰った。
・・・おかわいそうに、こんなに美しくお生まれになったのに。旦那様の跡継ぎとしてこんなにも毎日、剣術やお勉強をしなくてはならないなんて・・・。
 オスカルの小さな体を拭いてあげながら、マルギットはどうにも切なくなるのだった。「さあさ。さっぱりとなされましたね。ブラウスにもいい香りをつけておきましたからね。」マルギットはオスカルを綺麗に着替えさせ、鏡の前に立たせた。自分も彼女の横に膝立ちして、ニッコリと微笑んだ。「ほら!なんておきれいなんでしょう、オスカル様は。」
「ブラウス・・・。」
「え・・・?」
「ブラウス・・・母様がほめてくださった、レースのブラウスだった。」オスカルは絞り出すような声で言った。「剣の練習で破いてしまったんだ、私が未熟なばかりに。ねえマルギット、私は悪い子だよね。姉さまたちがアリアの練習をされている時も、お人形遊びをされている時だって私は兵法を学び、剣の練習をつけていただいているのにね。気に入りのブラウスさえ守ることができないんだ。」オスカルの瞳に宝石のような涙が浮かび上がった。マルギットは小さなオスカルを思いっきり抱きしめてしまった。
 

「そうね、そんなことがあったわ。」マルギットは懐かしく微笑んだ。オスカルがお人形のように美しいがゆえに、将軍によって定められた彼女の軍人としての人生が不憫でしかたがなかったのだ。


「でも・・・な。あの黒い髪の坊主が来てから、オスカル様はよく笑うようになったんだよ。」鏡が懐かしそうに言った。

 アンドレが屋敷へ引き取られてから、オスカルは侍女たちの目を盗んでは、アンドレを自分の部屋にひっぱりこんでは本を読んだり、一緒にお菓子をたべたり、時にはお話をリレー形式で作りあい、夢を語り合った。そういう時、二人は決まって寝台にもたれかかるように並んで鏡の前で膝をかかえてぺたりと座っていた。それはとてもスリルある一時で、侍女が来たら、二人さっと隠れることができたから。
「あの時の二人、可愛かったなあ・・・。」鏡は微笑んだ。
「ウフフ、私達侍女はね、知らないふりをしていただけなの、よ。」マルギットはちょっと得意げに言った。「だって、アンドレといる時のオスカル様は、本当に年相応の子供に戻れていたから。」
「そうだったのか。でもな・・・成長していくにつれ、なかなか大変な時もあったのさ。」

 近衛に入ってから、オスカルは生まれて初めて恋をした。それは皮肉にも、自分が護衛し、かつ敬愛している王妃マリー・アントワネットと愛し合うスウェーデン貴族、フェルゼンへの恋だった。その一方で、アンドレはオスカルへの愛に苦しんでいた。許されぬ愛。それどころか、自分以外の男に想いを寄せているオスカルと毎日いなくてはならない自分の境遇を彼は悔やんだ。

 ある日、オスカルは兄に頼るように、恋に破れた自分を慰めてほしくって蝋燭を付け替えに来てくれたアンドレを引き留めた。改めて彼女の恋心を悟ったアンドレの理性は音を立てて崩れた。彼はオスカルを寝台に押し倒し、彼女のブラウスを引き裂いた。
「あの時のオスカル様の泣き顔もお辛そうだったが、私はアンドレの心の苦悩をくっきりと映し出していたんだよ。鏡だから・・・な。」
「そう、そんなことがあったのね。」ふと、マルギットは思い出した。ある日のことだった。破けたブラウスをここで見つけたことがあった。その時、オスカル様は、慌てふためいていたわ。「遊びに来ていたル・ルーの帽子が風に飛ばされてしまって木に引っ掛かったんだよ。取ってやったはいいが、枝でブラウスを破いてしまってね。ばあやに見つからぬよう、そうっと捨てておいてくれないかな。」オスカル様らしいわ、アンドレを庇ってさしあげていたのね。
「でもな、マルギット。」鏡は言った。「それ以来、といってはなんだが、オスカル様は時々私に向かって話しかけられるようになった。アンドレ・・・ってな。それはとても甘く、優しい表情だったさ。もしかしたら、あの頃からオスカル様もアンドレの事を・・・かな?」
マルギットは目を大きく見開いた。「オスカル様がアンドレの事を?それは本当?ああ、それだったらどんなにか素晴らしい事でしょう。私達使用人はあの二人をずっと見守ってきたのだもの。」彼女の瞳からは、ポロポロと涙がこぼれた。
「そうさ、マルギット。二人は深く愛し合っていたよ。昨日の夜、オスカル様も、アンドレもそこの寝台で幸せの涙を流していた。そう、私のほうが照れくさくなるほどにね。そして二人は夫婦になってパリに行ったんだ。
 

安心おしよ、マルギット。」

はっ、とマルギットは頭をあげた。窓からは初夏の風が入り、カーテンは柔らかくおどっている。熟練の侍女であるマルギットにありえないことだが、彼女は鏡の前にある小さな椅子に突っ伏して、うたた寝をしてしまっていた。
「まあ、私としたことが・・・。」それにしても私は今、夢を見ていたのかしら?何だかすごく幸せな夢だったわ・・・そう思いつつ、マルギットは何気なく床を見た。「あ…これは…。」それは清潔に洗われた木綿のハンカチ。”A”のイニシャルが縫い付けられている。「これは、アンドレのハンカチ、だわ。」
昨晩、マルギットがアンドレに「洗濯しておいたわ。」と言って手渡したハンカチだった。「オスカルが最近、良く咳き込むんだよ。」そう言ってアンドレは常に彼女のために清潔なハンカチを持ち歩いていた。そのハンカチがオスカル様の寝台の脇に落ちていた。それが何を意味しているのか、をマルギットは瞬時に悟ったのだ。
 

 ああ、さっきの夢は・・・鏡との対話は本当のことだったのだわ。おめでとうございます、オスカル様。よかったわね、アンドレ。二人とも、早く無事に戻ってきてね。

マルギットは涙をポロポロと流しながら、窓から見える青い空を眺めた。

その頃。

同じ空を見上げ、石畳に横たわるアンドレは、その若い人生を終えようとしていた。昨夜、オスカルの寝台の脇の鏡にうつったであろう、二人を懐かしく思いだしながら。

FIN.