「星のきれいな夜だなあ。」アランは安物のラム酒を飲みながら、酒場のカウンタ―で一人つぶやいた。
居酒屋「ラ・セーヌ」。 自分が20代の若造の頃から馴染みの店だ。酒が飲みたい、金はそんなにない、かと言って、誰かと一緒に飲んで話をするのもウザい、そんな気分の時よくしけこむ安酒場だ。そんな輩がこの店には多いのか、マスターも心得たもので、客が来たら、グラスに酒とつまみを置くと、向こうへいってタバコをくゆらしている。こんな気遣いがとても心地がいい店だ。
今夜はフランスの夏の夜にしては蒸し暑い。アランはチビチビと酒を飲みながら、ここで色々な思考を整理するのが好きだった。今は亡きデイアンヌと母親の事。小さな墓だが、花は何をそなえてやろうか、これからのフランスを幸せな国にするために自分はどうしたら?疎遠になっている知り合いの事・・・。その時、「チリリーン」と酒場のドアベルが鳴った。
「いらっしゃい。」マスターのだみ声がせまい店の中に響き渡った。もちっと、お上品な声がでないもんかね、とアランが独り言ちつぶやいていると、トントンと肩をたたく者がいた。振り向くとそこには、黒い髪と人懐っこい黒い目のあいつが、ニコニコと笑って立っていた。
「アンドレ―!アンドレじゃあねえか!なんだか久しぶりだなあ。」
「アラン~!お前相変わらずここで飲んでいたんだなア。よかったよ、あえて。」
「るせーな、どうせ俺はワンパターン男だよ。おう、ここに座れ。」
その時、店の中に、フワリと風が吹いた。物騒な昨今、窓は閉められているのに、何故だ?
アンドレの前に、酒が入ったグラス、バゲットが一切れ、ピクルスにチーズが置かれ、マスターは奥にひっこんだ。アンドレとは昔っから、話がつきない。衛兵隊隊長の従卒にして、衛兵隊隊員、貴族のお屋敷に奉公する平民ながらに博学なこいつは、実に話題に事欠かなかった。
二人は昔にかえったように語り合った。ちょっとお色気の店の姫君の話から、政治の話、ベルナールの三文記事の冷やかし(本当はなかなかの名文だ。俺が保証する。、)などなど。楽しい時間が過ぎて行った。
楽しい・・・だが・・・何かがおかしい・・・アランは漠然とした不安めいたものを感じていた。アンドレとは楽しく歓談している。いつになくよく笑う。ただ、こいつ、飲んでいるんだが、全然、酒が減ってないんだ。何故だ?
「アンドレこの野郎。全っ然、飲んでねえじゃねえか。ほれ、グラス開けろよ。2杯目いくぞ。」アランはモヤモヤとした不安をかき消すように、悪ガキ同様、アンドレにけしかける。でもアンドレは、静かに、穏やかな目でアランに微笑んでいた。少しばかりの寂しさがその目に宿っているのを、アランは見過ごせなかった。
その時、ふたたび店のドアベルがなった。
そこにいたのは・・美しく長い金髪をなびかせ、意志の強さに、慈愛をこめたあの青い瞳の女性・・・隊長だった。それは、アランが心から慕い、愛した女性だった。
この時、アランの頭の中で、モヤモヤしていたものが、急速に覚醒した。そう、それは悲しい覚醒。去年の夏の日、隊長が率いる衛兵隊は、パリ出撃の際についに民衆側につき、結果、血で血を洗う戦闘になり、フランス革命の口火をきったのだった。そして、オスカルをかばってアンドレが、翌日、戦闘のさなかにアンドレを追うようにオスカルが戦死したのだった。
「こ、こんなのあるかよお・・・。」アランの目からははらはらと涙がこぼれ落ちた。「どうして二人ここにいるんだよ。ていうか、どうしてお前たち、あの日逝っちまったんだよ。」死者が目の前に、という恐怖は微塵もなかった。アランの胸に去来するのは、愛しさと、後悔と、孤独。隊長、俺はあなたを愛していました。アンドレ、やっぱりお前をパリに連れてきたのは間違いだったんじゃなかったのか?光を失ってもお前は愛する女のそばにいたかったのか?そして今、俺はお前たちの他の戦友も失って、一人になっちまったよ。
「アラン、どうか泣かないで。お前に会えて本当に良かったと私は思っているんだ。」生前と変わらぬ凛とした優しい微笑みを浮かべ、オスカルがアランに語りかける。彼女の肩に優しく手をかけているアンドレはアランに言った。「アラン、俺達はどうしてもお前にもう一度会いたくって。お前に出会えたことに礼を言いたくて、今日ここに来たんだ。お前は俺達の遺志を継ごをうと少々、無理をしすぎるヤツだからね。頼むから、自分を大切に生きてくれよな。」「そう。それを私達は伝えに来たんだよ。さようなら、そしてありがとう、アラン。」
さきほどの風が再び店の中に流れた。そこにはもう、誰もいなかった。
アランは先ほどの止まり木に座っていた。隣にはもう誰もいない。が、テーブルの上には手つかずの酒と、パンとつまみが所在なげにおかれていた。
「ばかやろう・・・死んじまいやがって。俺一人、残していきやがって。」嗚咽するアラン。その広い背中をマスターがポンポンとたたき、語りかける。若い時から通ってきていたこの男が初めて見せる涙だった。
「アラン、祝福してやれ。あの二人、すごく幸せそうだったじゃないか。この世で添い遂げることができなかった二人だ。ようやく一緒になれたんだ。喜んでやるんだな。」
「マスター、あんた、見えていたのか?あの二人のこと。」
「まあ・・・な。俺には少々、そういうものが見えるものでね。さあ、今日はこれで店じまいといこう。飲み明かそうぜ。特別だ。とっておきのブランデーをあけてやる。」そう言って奥にひっこんだマスターは、ブランデーとグラスを持ってきた。自分のグラス、俺のグラスに次いだ後、アンドレのグラスを俺の前に差し出した。「アラン、このグラス、さっさと明けちまえ。そしたら、アンドレのグラスにもブランデーつぐからな。今夜は男3人で酒盛りだ。」
マスターの武骨な優しさが心にしみる。
アランは心の中で、深々と頭を下げた。よし、今夜は祝い酒だ。マスターと二人、お前たちの婚礼の祝いをしてやるんだからな。もう、絶対に離れ離れになるんじゃあ、ねえぞ。
店の外には星が降るように瞬いていた。
ただただ、ベル愛の赴くままに夢中で書いていました。 6年前の作品です。