黄昏時、ホテルルージュ、38階にて。 | cocktail-lover

cocktail-lover

ベルばらが好きで、好きで、色んな絵を描いています。pixivというサイトで鳩サブレの名前で絵を描いています。。遊びにきてください。

 最近若者の間で噂のホテル・ルージュ。

 

 ロケーションの良さと豪華な内装、その割には手ごろな値段で楽しめるカフェが幾つも入っているこのホテルの35階から上は、パリを一望できて若者のデートスポットとして人気がある。

 

 その38階のフロア―を、ざっくりとしたダークブルーのダンガリーシャツにエプロンをつけた背の高い男性が豪華にアレンジメントされた花束を抱えて足早に歩いていた。

 

すると。

 

ボルドーカラーのドレスを着て、バイオリンをもった長身の女性が、この階で一番広いパーティールームでバイオリンを持って佇んでいた。その立ち姿があまりにも美しくて…彼は花をかかえたまま

しばらく立ち止まった。そんな彼に気が付いた彼女は、緩やかに彼に挨拶をした。

 

「ア…ごめんなさい。夕方ここでチャリテイー・コンサートをやる予定で練習しようと思って早く来てしまったのだけれど・・・。ご迷惑かしら?」

「あ、とんでもないです。僕はここに飾る花を届けに来ただけですから。なるたけ豪華な白い薔薇をたくさん持ってきてくれっていうご注文でした。ね?いい香りでしょ?」

彼が微笑むと、彼女のやや緊張気味だった表情がぱあっと明るくなった。

 

「本当、いい香り。でももったいないな。」と長身の女性はつぶやいた。

「何故?」と彼がたずねる。

「このコンサートの目的は、『ネグレクトや、貧困でごはんが食べられない子供達に暖かい食べ物を』

なの。それなのに、こんなに立派なパーテイ―・ルームを使って、たくさんの高価なお花を飾ってもらって。私の演奏を聞きに来てくださる方達には感謝するけど、私はお花を飾るお金があれば、たとえ

1フランでも子供達の為に送りたい、って思う。」

 

優しい人だな、と彼は思った。

 

「そうだね、僕もそう思います。でも。」彼は片目をつぶった。「えっと・・・有名なバイオリニストでいらっしゃるのなら、すみません…お名前教えていただけますか?僕、花ヲタクなもので他の事はあまり知らないんです。僕はアンドレ。アンドレ・グランデイエといいます。」

「私、オスカル・フランソワって言います。私のほうこそ、音楽ヲタクよ。」

「ではオスカル。あえて言わせてもらうけど、あなたにはこの白い薔薇、すごくふさわしいですよ。

もったいないなんてとんでもない。それにね・・・それじゃあ僕の商売あがったりだし。」

 

最後のアンドレの言葉にオスカルはアハハ!と吹き出した。その優雅でむしろ冷たさすら感じていた

彼女の顔立ちがむしろ無邪気で、子供の頃一緒に遊んだ女の子のような懐かしさすら感じてしまった。

 

「それならオスカル、僕のアイデアなんだけど。」アンドレは言った。

「この薔薇の花、聴きに来てくれたお客様に君が一本一本手渡しでプレゼントしてみては?

演奏が終わった後、フワリとセロファンに包んで差し上げるなんて粋だと思うよ。それにその方が薔薇も喜ぶと思う。」彼の提案に、オスカルは目を輝かせた。

「素敵だわ。でもわたし、何も用意していなくて。ドレスだって実は昨日急いで買いに行ったの。」

「大丈夫だよ。僕の車に包装用のセロファンもリボンもいくつか放り込んであるんだ。よければそれ、

持ってきてあげる。待ってて。」

 

アンドレはホテルの駐車場に止めてある自分の車に辿り着くと、セロファンの束とリボンを数種類、

剪定用の鋏をもって、38階に駆け上がった。すると。

秋の公園に色とりどりの葉が舞い降りるような、鮮やかな景色がアンドレの瞳に映る・・・

そんな光景が広がってくるような柔らかで暖かなバイオリンの音色が先ほどの部屋から聞こえてきた。

 

何て暖かな音色なのだろうか・・・・。

 

多分一曲目が終わったであろうタイミングを見計らってアンドレは包材の入った箱をかかえて彼女がいる部屋をノックした。

 

「ごめんなさい、あなたが戻ってくる前に一曲練習してたの。」

「外で聴かせてもらっていた。いや・・・聴き惚れてしまって部屋に入れなかったんだ。はい、

これがセロファン、それとリボンそれと・・・・。」

「ね、ねえアンドレ。私思ったのだけれど、最初から一本ずつのブーケにしておくのってどうかしら?

数時間ならもつと思うのだけど。」

「それはいいと思うよ。でもいいの?君のコンサートに添える花なのに。」

「うん。あなたの素敵なアイデアに、のった!」

「じゃあさ、」アンドレはニッコリと笑った。「僕が、一輪ずつのラッピングやってあげるよ。オスカル、君はリハーサルをしてて。大事な練習時間、花屋をやってたんじゃもったいない。」

「ええ?そんなの悪いわよ。だってあなただって仕事があるんでしょ?」

「この花は、僕の小さなバラ園の薔薇なんだ。依頼を受けては色々な所に花を持っていってる。だから

時間の制約はないから安心して。」

 

青い瞳を見開いて驚く彼女にはおかまいなく、アンドレは部屋の隅っこで作業をはじめた。

 

なんだろ、スッと私の心にはいって来てしまう人だな…とオスカルは思いつつ、理由もわからぬ

安心感とリラックスに包まれて、今日の演目の練習を再開した。

 

薔薇の花香る部屋をバイオリンの暖かな音色が優しく包む。その優雅な雰囲気は、視覚とか

聴覚と言ったものを超越して人々に伝わるのだろうか?フロアーを行き来する人や、ドレスアップした若い男女が思わずこの部屋で足をとめた。

 

そして、午後8時を回った頃。

 

昼間のシャツをこざっぱりとしたシャツとパンツに着替え、控えめな男性向けのコロンを付けたアンドレは、ホテル・ルージュの38階にいた。

もう、コンサートは終った頃かな?と思いつつ、先ほどの部屋を覗いてみたのだが、もう誰もいなかった。無事コンサートは終ったようだ。薔薇の残り香が部屋を包み、ついさきほどまであの、たおやかな

音色が皆を魅了していたであろうことは、部屋に残る熱気から伝わってくる。

 

よくわからないが、こう言ったパーテイ―の後は打ち上げでもやるのかな。たぶん彼女もそちらに

・・・?

 

別に約束をしたわけじゃない。でも会いたかった。昼間見たオスカルにもう一度、会いたかった。

 

わかりきっていたが少し失望して、アンドレはせめて、部屋の残り香を存分に味わっていこうと彼女が演奏していたであろう、小さくしつらえられたステージに立った。

 

その時。

 

「やっぱり、来てくれた。」柔らかなハスキーボイスに、アンドレは振り向いた。

 

パリの夜景が見える磨き上げられたガラス窓を背に、ボルドー色のドレスのまま、オスカルが立っていた。

「オスカル!君コンサートが終わって・・・もうこちらには戻ってこないかと。」

驚きと嬉しさで、アンドレのボキャブラリーがかなり貧困な事になっていることにオスカルは昼間見せた無邪気な笑みを見せた。

「この後スタッフが打ち上げをって誘ってくれたのだけど、断ったの。無駄なお金は使わないでチャリテイーに回してほしいって。でも本当は。」

「本当は?」

「あなたがもう一度、来てくれるんじゃないかって思ったから。この場所に来てくれるんじゃないかって。」

 

なぜこんなに・・・・心が伝わるのだろう?今日初めて出会ったのに。

 

そうしている間にも、パリの夜空に美しい明かりが映える。窓辺に佇むオスカルの傍に近づいたアンドレは、窓辺に座り、オスカルを誘った。

 

「そのドレスのままの君と、俺はもう一度会いたかった。」アンドレの脇に、オスカルは柔らかく腰をおろした。「すごく綺麗だ。昼間君を見た時、本当に天使が舞い降りたと思ったんだ。」

「大袈裟だよ、アンドレ。でもね、今日は嬉しかった。実は私ってすごくあがり症で人前に出るのが苦手で。このコンサートも周りからやいのやいのって言われて引き受けたんだけど。だからドレスも、昨日まで買いに行く気分にすらならなかった。でも今日アンドレに出会って話をしているうちに、何だか安心して演奏することができたの。すごく不思議。コンサート中も、アンドレが後ろで守ってくれているみたいな気持ちだったわ。」彼の膝に自分の膝が触れている事が照れくさくて、オスカルは窓の外に目をやりながら独り言のように語った。

 

「ねえ、オスカル。君の演奏を聴いていて思ったのだけれど、君が奏でる音色には鮮やかな色があるんだ。」

「色?」

「そう。美しく色づいた秋の葉がハラハラと舞い降りる公園の景色が目に浮かんだんだ。俺、小さい頃左目にボールが当たってね。今は大分見えるんだけど物のニオイとか音の情景を想像してしまう癖があるんだ。だから香りにも敏感で。花を育てる今の仕事にはとても好都合なんだけど。」

「あなたの、左目?」オスカルは驚いて彼の左まぶたにそうっと触れて見た。黒くて綺麗なこの瞳にそんなことがあったなんて、と少しオスカルは切ない気持ちになった。

 

「見えるのね?今は。あなたの綺麗な黒い瞳が見えないなんて考えたくない。」

「見えるってば。ほら、その証拠に。」

アンドレは後ろに隠し持っていた、薔薇のブーケを彼女に差し出した。

「綺麗‥‥!これ、私に?」

「急いでバラ園に戻って君のために剪定してきた。コンサートの成功を祝福して。そしてオスカル、」

「そして、何?」

「出会ったばかりで、失礼かもしれないが、君に心を奪われたんだ。」

「アンドレ・・・。」

「愛してしまった。オスカル。」驚いた表情で彼を見つめるオスカルだったが、そうっと彼の胸に

頭を寄せた。瞳を閉じて彼の方へやや顔を上げる彼女の唇にアンドレの唇が舞い降りた。

 

窓辺で抱き合う幸せなカップルの姿を星空が窓越しに祝う、そんな秋の夜だった。