「ユキ、ミルクの時間だよ。」アンドレがミルクの入ったお皿を持ってくると、ケージの中で微睡んでいた青い目の子猫は、早く開けてといわんばかりにケージをガリガリし始めた。アンドレは笑って膝の上にユキ・・・子猫を抱くと、艶のある白い毛並みを撫でた。
ひょんなことから、白い子猫を飼うことになったアンドレ。フランス語のneigeが日本語で雪を意味すると
知って、学生時代、日本のアニメが好きだったアンドレはこの可愛い家族をユキと名付けた。
「面白い名前だな。」と笑う友人に「・・・・なんだか、優しい響きだろ?」と笑って答えた。
実は、ユキと名付けた理由はもう一つあった。これは誰にも言ってないが、あの子猫を見つけた日に出会った金髪の、ちょっと気の強そうな女性が白銀の雪を思わせたから。オスカル、と言ったっけ、彼女。
あちらの子猫は、どうしてるかな…フフフ。彼女、負けず嫌いな感じだから、一生懸命育児奮闘中だろうが。
連絡先くらい、聞いておけばよかったな・・・。
アンドレがあの時の彼女に思いを馳せていることに気づいたのだろうか、「私だけ見て。」と言わんばかりにユキはアンドレの指を甘嚙みした。「いたた・・・?お前ヤキモチ?さすが、女の子だね。」
少しだけユキと猫じゃらしで遊んだ後、アンドレはデスクに戻った。
彼は・・・自分はそう呼ばれることをとてもいやがるが・・・広い年齢層にフォロワーをもつ小説家、兼、カフェ店長。
彼がここにいたるまでの過程は実にドラマチックである。
少年の頃から神話や童話が好きで、歴史学に興味を持っていたアンドレは大学では文学部西洋史学科に進んだ。大学生活は充実し、勉強も楽しかったが教師と研究者の道以外、史学科は就職に決して有利な学科ではなかった。
アンドレは学生時代からカフェでバイトをしていた。器用さとマメさで給仕からバーテン、料理、バリスタまでこなせるようになった彼は、マスターのたっての希望でもう一つの彼が経営するカフェに大学卒業後、勤めることになった。
カフェの名は、「エトワール。」高層ビルの天辺の、パリで名高いセレブが通うデザイナーズカフェ。そのエトワールの店長に、という話にアンドレは驚いたが、その頃卒業後の進路に悩んでいたこともあり、「とりあえず、やってみるか・・・。」ぐらいの気持ちで引き受けることにした。
いざやってみると、アンドレ目当てのエトワールの女性客がじわじわと増えていった。観劇やショッピングに疲れたセレブマダムが、柔らかで上等なクッションに身を沈め、デザイナーズ・ブランドのカップやグラスでコーヒーやシャンパン、チョコレートをつまんでいく店だ。洒落たランチと高価な買い物で食欲、物欲を満たされた彼女達が、戯れに若い店長に秋風を送るのも容易に想像がつく。
そういった仕事なので、平日休み、午前や午後のポッカリと時間が空くことがあり、その間にアンドレはぽつぽつと小説を投稿していた。これが実に金のかからない趣味で、何か思いついた時携帯にメモる。
それを気長に文章に整え、危険性のない小説投稿サイトへ、投稿していた。ハンドルネームは、
「マロンパフェ。」
小さい頃から可愛がってくれた田舎の祖母の名前と、自分が大の甘党なことから考えたハンドルネームだが性別が分かりにくいこの名前をアンドレは気に入っていた。
ところが。
ある日、投稿サイトを通じて「マロンパフェ」あてに、一通のメールが届いた。差出人は、重めの文学作品からライトノベルまでカバーしている中堅出版社。
マロンパフェ様、あなたの小説を、ぜひ書籍化したいのです。
嬉しい…の前に、アンドレは焦った。確かに数多くはないが、投稿する小説に多くの「いいね!」とコメントをもらっている。客商売が身についている彼は、一つ一つのコメントに几帳面にコメレスをしていた。
そんな誠実さも今回のオファーにプラスに働いたらしい。でも、俺が小説家?いや、ダメだ頭を冷やせ、俺。趣味でやってるものが仕事になってうまくいくわけがないぞ。
そう思って丁寧に辞退したものの、出版社の説得に負け、カフェの仕事を続けていくことを条件に
出版社と契約を結ぶことにした。
これが、アンドレが小説家とカフェ店長の2足のわらじを履くことになった経緯である。どちらかが疎かになったら、カフェの仕事をとろう、と思っていたが、様々な客が出入りする「客商売」で得られる経験は、むしろ創造の世界を豊かにしてくれた。アンドレのペースでゆったりとした創作活動を続ける事を出版社の担当者は認めてくれていた。
今日は彼の休日。オスカルと出会い、ユキを連れてきた先週からちょうど1週間目の休日。ちょうどいい。書き溜めた文章をまとめてみよう・・・。
実は、今書いているものとは別に、アンドレの頭にある一つの創造の種があった。芽をだしたいのに、もう一つ、イメージがまとまらなかったが・・・なんだか、光が見えてきたような気がする。
その光の先に、輝く金色の髪が見える。
「何してるの?お仕事?」小さな手がアンドレの両目を後ろから塞いだ。
「あ、こら。お昼寝から起きたの?」
「そうよ。ユキだって起きてるじゃない?私も喉が乾いちゃった。」愛らしい茶色の瞳がアンドレをまっすぐに見上げる。「お腹も空いた。」
カップに冷たいジュースを注いでやって、アンドレは彼女のほっぺにキスをした。
「じゃあ、ママが帰る前にパンケーキでも作ろうか。」
小説を下書き保存すると、アンドレはキッチンに向かい、パンケーキの用意をはじめた。
長身の彼を、柔らかなウエーブの少女がチョコチョコとついていった。
つづく
以前、軽井沢のホテル(お茶だけいただきました。)のインテリアがとても素敵でした。アンドレが働くエトワール、こちらからイメージをもらっています。