秋が深まってきた。丸々と育った栗の実が琥珀色に輝き、たわわに実る季節。
衛兵隊ベルサイユ支部にも、パリ界隈の新作スイーツの噂が流れてくる。
「アンドレ、『ルナ』ではマロンペースト入りのパンケーキが季節限定だそうだな。」
「ほう?どっからの情報?」
「・・・・侍女達が話していた。美味しかったそうだ。」
「行ってみるか?お前がそんなことを言うなんてめずらしい。」
「いや・・・仕事も忙しいし、他の隊員の夜勤、代わってやってるじゃないか、お前も。私だけ楽しむわけにはいかんだろ。」そう言ってオスカルは仕事を再開した。
『ルナ』は以前、二人でこっそり行ったパリのカフェ。ほんのわずかな時間だが、恋人同士の語らいを楽しんでいた。最近何かと多忙を極める二人は、ベルサイユ支部と屋敷の往復に終始している。
疲れたよなオスカル。かわいそうに・・・・アンドレはちょっと切なげにオスカルの横顔を見た。
突き抜けるような青空が広がる秋晴れの平日。衛兵隊ベルサイユ支部正門の詰所に、浅黄色の
ローブ・ア・ラングレーズに共布の帽子を身に付けた品の良い女性が若い衛兵隊に何かを頼んでいた。
女性は大きな麦わら帽子を目深に被った女の子を連れて、彼に微笑んでいる。
「ある理由で私、名前を名乗れないのですが・・・この手紙をB中隊所属のアンドレ・グランデイエ様にお渡しいただきたいのです。必ず彼本人にお渡しくださいませね。」そう言って彼女は、手紙と共にボンボンが入った小さな菓子袋をそっと手渡した。
「あ…そんなご丁寧にどうも・・・。アンドレ・グランデイエですね?僕、いや私もB中隊なので、必ず届けます。」
今年の春に入隊したばかりのアルクールは、自分より年上の美しい女性を前に、やや緊張気味に
でも、快く依頼を引き受けた。
「それではよろしくお願いします。」そう言うと、浅黄色のドレスの女性は詰所を後にした。その時、
「お待たせしましたね。何か甘い物でも食べてまいりましょうか。」と隣の女の子に話しかけるのを
アルクールは耳にした。
「親子・・・じゃないのか。てっきり娘かと思ったけど。そっれにしてもあの子・・・。」
「アンドレ・グランデイエ、入ります。」声高に司令官室へ入ってきたアンドレは、ハア、ハア、と息も荒い。
「どうしたんだ・アンドレ。そんなに急いで何かあったのか?」いつも穏やかなアンドレに似つかわしくない
狼狽した様子にオスカルはびっくりしていた。
「とある女性から・・・名前は名乗らなかったそうだが・・・麻薬密売人の取引があるとのタレコミがあったんだ。」
「何だって?どこだ!」
「カフェ『フランボワーズ』だ。」
フランボワーズ・・・ベルミー通り沿いの若い娘達に評判の店だ。何故あんな店でそんな取引が?
オスカルとアンドレは、顔を見合わせた。
「考えたくはないが、少年少女に麻薬を売る密売人が増えてきているんじゃないか?あわよくば、
フランボワーズに客として来ている娘達に売りつけて、薬で眠らせてトルコへ売り飛ばす…なんてことも考えられるだろ?」
「そうだな…なんてことだ!許せない!その取引は何時だ?」
「それが・・・今日の3時らしい。あと2時間ある。」
「そうか。ダグー大佐、今日は早急の仕事は?」オスカルは心配そうに二人の会話を聞いていたダグー大佐にたずねた。
「いえ、午後の射撃訓練以外、本日は急務はございません。パリへ行かれますか?」
「それでは今すぐ向かいます。大勢で行くと目立つので、今日はアンドレと二人で。」
「わかりました。あとの事は私におまかせください。くれぐれもお気をつけて。アンドレもな。」
「おそれいります。じゃあ隊長、行きましょう。」
そうして、オスカルとアンドレは、みすぼらしい馬車を雇ってパリへと向かった。
「麻薬密売人の裏取引・・・ですかい?」隊長とアンドレがパリへ向かった理由を大佐から聞いた
アランはフランソワと首を傾げた。
「ああ、なんでも直接手紙が届いたらしい。」ダグー大佐はアンドレの話を聞いていたのでアランに答えた。
「妙だねえ・・・。」アランはポツリとつぶやいた。
生まれた時からパリの下町に住むアランもフランソワもパリでは顔が広い。めっぽう強いが武骨な優しさがあるアランはそれなりに兄貴分として若い者からの人望もある。そういうわけで、アランは少しだけ小遣いを握らせては、パリの裏情報を伝えてくれる「弟分」を持っていた。
その筋からは、何の情報もない。いや、それどころか最近大きな組織が摘発されたばかりだと聞いた。
「なあ、その手紙を持ってきた女、アンドレにほの字じゃねえのかい?それでそんな、手の込んだことを。へへへ・・・そしたら隊長が同行してりゃ面白え。修羅場が見れるかもな。」
「でも班長、その人子供連れだったんですよ。」ひょいっと話題に入ってきたのは、詰所で手紙をあづかったアルクールだった。
「子連れだって?」
「そうなんです。でも、親子っていうより、お嬢様と侍女?みたいな?・・・。敬語使ってたし。その子が
すごいくせ毛だったんでよく覚えてます。」
くせ毛の女の子か・・・なんだかひっかかるな・・・。アランはダグー大佐にたずねた。
「大佐はその手紙、見たんすか?」
「見たも何も。急いで出ていったものでアンドレが忘れていったから、私が持っているよ。」
「ちょっと、見せてください。その手紙。」
ダグー大佐に渡された手紙を開いてみると、アランは思わず微笑んだ。
綴りも正確。育ちの良さがうかがえるが、妙にガキっぽい文体。おまけに便箋の左下には可愛いスミレの花がレリーフされている。
そういやアンドレが言ってたな。
「オスカルの姪っ子がすごくおませなんだ。小さいのに、俺に『オスカルねえちゃまとはうまくいっているの?』なんてしれッとして言うんだぜ。子供はいいよな、罪がなくてさ。」
「隊長の姪っ子?金髪で青い目で滅茶苦茶気が強いのか?」
「いや、栗色の髪に菫色の瞳だ。すごいくせ毛だよ。あれで結構、可愛いんだ。」
なる・・・ほどね。
アランはダグー大佐の肩を失礼がない程度にポンポンと叩いた。
「大佐。どうも隊長とアンドレ、子供の悪戯に付き合わされたみたいですぜ。まあ、心配ないと思いますよ。急務がないんだったら見逃してやってくださいよ。」
事情が呑み込めないダグー大佐、他隊員は、不思議そうにアランを見ていた。
『ルナ』でマロンペースト入りパンケーキを口いっぱいに頬張るル・ルーを見て、乳母のアナスタシアは
笑って小さな女主人にたずねた。
「あれで、よかったでしょうか?ル・ルー様」
「ええ!ありがとう。アナスタシアは美人だもの。衛兵のお兄さん、照れていたわ。」
「ご冗談を、お嬢様。いえ、私が心配しているのは別の事ですの。」紅茶を一口飲むと、アナスタシアは言葉を続けた。「オスカル様は聡明な方ですから・・・すぐにル・ルー様の企みにお気づきになってしまうのではないか、と。」
ほっぺについた生クリームを拭いてもらいながら、ル・ルーは言った。
「だからこそ、アンドレ宛てにしたの。アンドレの話ならオスカル姉様は決して疑わない。だって~あの二人、あんなに想いあっているのに忙しくってデートもできないのですもの。私とアナスタシアが助けてあげないとね。それにね、オスカル姉様はあれでいて甘い物に目がないのよ。あのお店はスイーツが美味しいからアンドレに食べさせてもらっていてよ、今頃は。」
「まあ!あの凛々しいオスカル様からは想像できませんわ、わたしは。」
「それがね、アナスタシア。」ル・ルーは得意げに言った。「オスカル姉様はね、アンドレの前でだけは
女の子に戻っちゃうのよ。不思議ね、恋って。」
「まあ、ル・ルー様ったら。」
アナスタシアはおませな女主人が可愛くって、思わず吹き出した。
「なあ、密売人ってどこにいるんだろ?」
カフェ「フランボワーズ」の花柄のテーブルクロスの前で落ち着かないアンドレは、オスカルにポツリと言った。
「そうだな・・・3時はとっくに過ぎているし、まわりは可愛らしいお嬢さんばかりだし・・・。そう言えば、アンドレ。私は手紙を見ていないぞ、どんな手紙だったんだ?」
「うん・・・内容はさっき言った程度の事だったけど、文体が子供っぽいっていうのかな。わざとそんな感じに?って思ったけど・・・。それに上質な便箋で、左下にスミレの花のレリーフがあったっけ。」
オスカルはフッと思い出した。今、屋敷に遊びに来ている姪っ子のル・ルーが嬉々として見せてくれた
美しい便箋と封筒の一式を。便箋と封筒に美しいスミレのレリーフが施されている。
「母様がね、お友達にお手紙を書くようにって買って下さったの。」そう言っていた、おませな姪っ子。
「これはもしや・・・。」オスカルはクスクス笑いだした。
「私達はもしかすると、ル・ルーに嵌められたのかもしれんな。」
「え?ル・ルー様に?」アンドレはオスカルを見た。
「優柔不断でワーカホリックの恋人達を見ていて、イライラしたんだろう。アンドレ、せっかくきたんだから
モンブランでも食べて行こうよ。」オスカルはそう言うと、アンドレの肩に小首を傾けた。
未だ状況がわからぬまでも、久しぶりにカフェで甘える恋人のために、モンブランと紅茶を二人分、
注文した。
そして・・・
他のお客の視線が逸れた一瞬、二人は唇を重ねた。
外は秋の心地よい風が二人に微笑みを投げかけているようだった。
FIN
以前、自衛隊の某駐屯地の詰所にいた自衛隊員の方がとても優しいお兄さんだったのを思い出しました。
同名の漫画をpixivでupする予定です。ご来訪くださいませ。
https://www.pixiv.net/artworks/84616860
随分、昔のイラストですが・・・(-_-;)秋、お菓子のイメージで。