まあるいコロンとしたクッキーに、クルミやアーモンドの欠片がチョコンとのった素朴なお菓子。
それは、ふとした日常の中で、懐かしく想い出す焼き菓子。
最初は、プロバンスに住んでいた頃の、母との慎ましくも楽しい生活が蘇った。その頃の思い出が
懐かしくて、眩しくって、悲しくて。一口食べるたび、母の顔を思い出していた。
でもやがて、その味と共に思い出すのは、
庭師のエルフのおやじさんとヒヤシンスの球根を土に埋め込んだ後のおやつの時間。
庭園の、つる薔薇の下にこそっと置いたベンチ代わりの木枠の箱に腰掛けてたこと。
生まれたばかりの仔馬が可愛くってずっと見つめていた時とか。
こんな、お屋敷での日常を思い出すようになっていった。そして、その情景の傍らには、必ずオスカルが、いた。
健康的な頬に勝気で美しく青い瞳。肩ギリギリの長さだった艶やかな金髪が、フリルの着いたブラウスの上でフワフワと揺れていた彼女と、ナッツをのせたクッキーの甘い香りが俺の頭の中で共に蘇る。
8歳の夏の日、アンドレは故郷を後にした。祖母、マロン・グラッセと共に引き取られたお屋敷は、
とてつもなく立派で、咲いている花まで、故郷とは全然異なっていた。数少ない着替えの他は、
母が持っていたロザリオと聖書、木のおもちゃを小さな風呂敷に包み両手に握りしめていたアンドレは
おもわず荷物をキュウっと胸に抱きしめて、
高い天井や、
磨き込まれた壁に掛けられた重厚感のある額縁におさめられた立派な服装の人物画。
丁寧に磨かれた螺旋階段。
手すりにさえ施された繊細な彫刻・・・。を凝視した。
そして・・・・
その螺旋階段の向こうにオスカルは、いた。
いかにも子供らしい、大きなレース襟のブラウスに黒いキュロットという、出で立ちだったけど、
その時のアンドレの感動と驚きを鑑みれば、「・・・天使が舞い降りた・・・。」と錯覚したとしても、
何ら不思議はなかっただろう。
お屋敷でのご奉公は何もかもが初めての経験で、毎日「冒険小説の主人公になったみたい。」だと少年アンドレは思った。幸い彼自身、田舎でもすすんで母の手伝いをする子供だったので奉公人にもたいそう可愛がられた。ただ、マロンだけは、孫に対して厳しかった。
孫を引き取る際、ジャルジェ夫妻から「オスカルの遊び相手兼護衛としてアンドレをお屋敷に連れてくるように。」と言われたマロンは、その言葉の重さと、分不相応な思いやりに深く感謝した。
だからこそ、慎み深く、思慮深い人間に育て上げようとマロンはアンドレを躾けた。
そんな祖母の厳しさに、時折物陰でコッソリと涙を流すこともあったアンドレだが、その後は必ず、といっていいほど、祖母の「焼き菓子」がテーブルの上にチョコンとのせられていた。
それでもやはり、一つしか年の違わないオスカルといる時はとても楽しかった。剣の稽古ではやられっぱなしで泣くことはあったけど、季節の花が咲き乱れる庭を走り回ったり、台所にあるパンの切れ端をくすねてはオスカルと一緒に仔猫に食べさせたりする楽しい共犯関係を築いたりすることはとてもぞくぞくして楽しかった。
幼いながらに、アンドレはオスカルが「偉い人の子供」だというぼんやりとした認識はあった。だから、食事を共にする、ということが許されないことは抵抗なく受け入れられた。
それゆえに、一日に一回の一緒のおやつは二人にとって大きな楽しみだった。
おやつは甘く煮た林檎だったり、砂糖がけのヌガーだったり。そして頻繁に登場していたのは、
バターと卵がふんだんに使われたマロンの十八番のクッキー。その上に、クルミやアーモンドがチョコンとのっかってるシンプルなものだったが、とても美味しくて、プロバンスの実家で母がよく焼いてくれたものだった。
台所から、あのクッキーの香ばしい香りが!テーブルの上には、クッキーを盛られたお皿が二つ、子供達を誘っている。
アンドレは嬉々としてオスカルと共に座り、左手にミルクを、右手にクッキーをとり、食べようと思った。
その時。
「待って。」そう叫んだオスカルは、自分のお皿のクッキーをじっと見ている。そしてばあやに言った。
「なんで?なんで私のクッキーはアンドレのと同じじゃないの?」
オスカルの皿に盛られていたクッキーは、動物や花弁の形に綺麗にかたどられ、オレンジピールや
細かく刻んだナッツが飾られている。見た目にも美味しそうなやつだった。
「オスカル様、アンドレのおやつとオスカル様のものが違うのは当たり前ですよ。お姉様方も、同じお菓子を・・・。」
「うるさい!私はアンドレと同じおやつでなきゃ嫌だ!」
ハラハラしながら二人を見守るアンドレには構わず、オスカルはアンドレの皿のお菓子を半分、左手で掴むと自分の皿に入れた。そして自分の皿に盛られた菓子を半分、アンドレの皿に移した。
「さあ、食べようアンドレ。そしたら今度は、部屋でご本を読もうよ。」
ようやくオスカルは、美味しそうにおやつを食べ始めた。
ちょっぴり祖母の眼差しが怖かったけど、アンドレはオスカルがくれたクッキーを口に入れた。
オレンジの香りと、ナッツの香ばしさが口に広がって、おいしい。
でも、なによりも、
よくわからないけど、オスカルが自分の事を思ってすごく怒ったことが、くすぐったいくらい、嬉しかった。
このクッキーは、オスカルの優しさを思い出させてくれる。