あの日の焼き菓子 | cocktail-lover

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ベルばらが好きで、好きで、色んな絵を描いています。pixivというサイトで鳩サブレの名前で絵を描いています。。遊びにきてください。

 「あの子は本当に可愛らしい子だったよ。」

 

 丹念に磨き込まれたクルミ材のテーブルに置かれた菓子鉢と紅茶を前にして、マロングラッセはポツリとつぶやいた。

 

 この男子禁制の侍女頭の部屋に唯一入室を許されているのは、マロンとほぼ同時期にお屋敷に奉公に上がった庭師のエルフ。二人共フランスの片田舎の出身で、大貴族のお屋敷での仕事はけっして楽しい事ばかりではなかった。そんな中でも明るく勝気で、人情深いマロンをエルフは年の離れた姉のように慕っていた。

 

やがてマロンは結婚し、娘が生まれた。お屋敷の離れに小さな新居を頂き、慎ましくも暖かな家庭を築けた。

でもそんな生活は長くは続かなかった。流行り病で主人を無くし、マロンは未亡人になってしまった。そしてプロバンスに嫁いだ娘が残した一粒種のアンドレをお屋敷に引き取らせてもらった。

エルフもまた、若く働き者の侍女を妻にしたものの、一人息子を残したまま、彼女は天に召されてしまった。

 

一人の孫と、一人の息子を残された者同士、寂しさや世間話や、互いの小さな子供達の話ができる

大切な友人として、マロンとエルフは年月を重ねていった。

 

「そうだったねえ。アンドレは小さい頃から俺の仕事もよく手伝ってくれたっけ。」

笑うと目尻に優しいしわが浮き出るその庭師は、美味しそうに紅茶を飲んだ。

 

そうさ。

あの子は若くして死んだ両親の良いところばかり受け継いだんだ。スラリと高い身長と整った鼻すじは

父親似。緩く波打つ黒髪は母親似だろうね。一人ぼっちになってしまったあの子をこのお屋敷へ引き取らせていただいた時のあの子の可愛さったらなかったよ。

田舎からもってきた自分の小さな鞄を両手で胸にキュッと抱きしめて。

クルクルと動く黒い瞳をこれでもかっていうくらい見開いて螺旋階段や見事な肖像画を見てた。

 

本当はね、エルフ。

 

うんとうんと甘やかして、私の分のお茶菓子だって全部あの子にやりたかった。

かわいがりたかった。

 

でもね。

 

田舎育ちのアンドレがこれからこのお屋敷でご奉公しなくてはならない。そのうえ恐れ多くも、

末娘のオスカル様の遊び相手兼護衛をさせていただくなんて旦那様はおっしゃった。

 

もったいないお話だけど私は本当に嬉しかった。

でも、それならばあの子を、思慮深く、慎み深い人間に育てていかなくては。

私は心を鬼にして、アンドレを厳しく、半ば突き放すように躾けたんだ。

 

「そうさ・・・。俺から見てもあんたはアンドレには厳しかった。よく泣いているあいつを見かけてはミシェルがアンドレの肩をポンポン叩きにいってたよ。なんだか、可愛い弟分みたいな気持ちだったんだろうな。」

 

自分の息子の名を出すと、エルフは当時の光景が見えるように窓の外へ眼をやった。

 

「でもね。」マロンはお茶を啜った。

「私があまりにもアンドレに厳しいのを大奥様が見るにみかねたんだろうね。本当にお優しい方だもの。

『ねえばあや。アンドレにはオスカルの護衛である前にお友達になってほしいの。いっしょに駆け回ったり、ご本を読んだり。お食事は無理だけど、せめておやつは二人一緒に食べさせてあげてね。』そう

おっしゃられたんだよ。」

 

それでもマロンは申し訳なくて、二人のおやつに差をつけた。

 

アンドレ、決してお前の事、可愛くなかった訳じゃないんだ。許しておくれ。

マロンは心の中でつぶやいた。

 

でも、オスカルは聡い子供だった。

「何で私のおやつとアンドレのおやつは違うの?アンドレと同じでなきゃ、食べない!」アンドレと並んで

座っていたオスカルはマロンをキッとにらんだ。アンドレは祖母とオスカルを交互に見て、オドオドしていた。

 

おやつは同じクッキー生地で作ったものだったけど、オスカルの分は綺麗に型で抜き、オレンジピールやナッツを綺麗に載せていた。抜いた後の残りの生地を丸めて、クルミを一かけらのっけて焼いただけのものがアンドレの分・・・だった。

 

「オスカルお嬢さま!いけません・・・。」そんなマロンの言葉に耳も傾けず、オスカルは自分のクッキーの半分をアンドレの皿へ、アンドレのクッキーの半分を自分のお皿へと移した。そして、

「アンドレ食べよう。食べ終わったらまた、遊びの続きだ!」

そしてようやく、二人はおやつを食べ始めたんだ。

本当に、お嬢様はお心が綺麗な美しい方だった。

 

こんなお屋敷の、それも跡取りの美しいお嬢さまと、使用人の孫が仲良くおやつを食べることができたんだよ・・・神様のプレゼントだったんだろうね。

それに・・・口に出すのも畏れ多いけれども、アンドレにとってはもちろん、オスカル様にとっても

お幸せな時間だったのだろうね。

 

 

マロンの部屋の窓から見える、木々の葉は陽の光具合で様々な緑色に輝いていた。

世の中の喧騒とはうらはらに、庭園の景色は美しく、晩夏の切ない日差しが人々を和ませている。

この屋敷の悲しみにそっと寄り添う温もりのように。

 

 

マロンは自分の手の平の中にある紅茶茶碗をさすりながら、ため息をついた。エルフは黙って彼女の話の続きを待った。

 

「オスカルお嬢さまが初めてドレスを着て舞踏会へ行くとおっしゃった日の事は忘れられないよ。おかげで私は朝から浮かれっぱなしだったよ。」

 

幼いころより、6人姉妹の中で一番整った容姿にも拘わらず過酷な運命を背負ったオスカルのことを、マロンは常に痛ましく感じていた。だからこそ、その日のマロンは気もそぞろで

髪飾りはどうしようか。

どうしたら少しでも楽しくお過ごしいただけるだろう。

そればかりを考えていた。

 

それに・・・女としての盛りをはるかに過ぎたとはいえ、マロンは気づいていた。

お嬢様はどこかの殿方に恋をしておられるのだ・・・。そしてもしも、そのお方が今夜の舞踏会に

来られているのなら、最高の装いをお嬢様に・・・と。

 

「こんなに髪の毛を引っ張り上げなくてはいけないのか?襟足が痛い!」

「我慢してくださいませ。でもとてもお美しゅうございます。」

「それに腰が割れそうだ。こんなに締め上げなくてはいけないの?ばあや。」

「そうですよ。ごらんなさいませ、あまりのお美しさに舞踏会の楽士も手を止めてしまいますよ。」

目の前の鏡には、美しい金髪を宝石が嵌め込まれた髪留めでアップにしたオスカルが戸惑いを隠せぬ様子で映っていた。

マロンはあらかじめ小テーブルの上に用意しておいた銀の皿に盛られた一口大のクッキーを彼女に差し出した。

「あ…いい匂い。」

「こちらを召し上がっておくとよろしいです。今夜は慣れないドレスをきていらっしゃるから、あちらでは

何もお召し上がりになれないかと。」

苦笑いをしながら、オスカルはオレンジピールに飾られた一つを口にした。

バターの香りと柑橘系の香りが口に広がる。

ああ、ばあやの味。ううん、あの時食べた、アンドレとの想い出の味だ。

 

あ、アンドレ?

アンドレはどこ?

 

「美味しいよ、ばあや。ねえ、アンドレはどこ?」

「アンドレはお屋敷の用事で外にでております。」

マロンは、オスカルがとても寂しそうな表情をした…ような気がした。それからオスカルは、クッキーを2,3粒つまむとマロンや他の侍女に付き添われ、馬車へと向かった。

お幸せなひとときを過ごしてくれますように・・・!!!マロンは心から祈った。

でも、その日を最後にオスカルがドレスを装おうことはなかった。

 

そればかりか、

 

「あの日のクッキー」を口にすることもなくなった。ばあやの十八番で、オスカルは疲れた時などでも

紅茶と共にあれだけは食べてくれていたのに。

 

それは寂しくもあり、心配であった。孫のアンドレと共に、嬉しそうに頬張ってくださっていたお菓子なのに。

 

それから、沢山の年月が過ぎていった。

 

オスカルは近衛を辞め、衛兵隊隊長として身を削るように働いていた。そして彼女と運命を

重ねるように、アンドレは屋敷の仕事と、オスカルを支えるべく衛兵隊隊員として日々を過ごしていた。

 

そしてある朝。オスカルが出仕し、少し後ろに、でもほぼ並ぶようにアンドレが付き従っている光景を

見た時、マロンは震撼とした。

 

二人は、想いあっている・・・!

 

アンドレの、オスカル様への救いようのない恋心は知っていた。マロンは孫を罵り、激しくその想いを

禁じた。「私達と、あのお方達は住む世界が違うんだ。異なる血が流れているんだよ。」と言って。

 

でも、アンドレが隣にいる時の、今のオスカル様の表情は何て柔らかなのだろう。

孫と・・・アンドレと話をするときの嬉しそうで艶やかな表情は、あの舞踏会へ行ったときのそれよりも

キラキラと輝いているじゃないか・・・!

どうしたらいいのでしょう、神様・・・!

マロンは神に祈った。敬愛するお嬢さまと可愛い孫が、道を踏み外さぬよう、そして二人のこれからの

人生をお守りください、と。

 

 

エルフは窓の外を見た。先ほどからは少し、木々の緑の色が翳ってきたようだ。

 

「そうだったね。あの頃マロンさんが俺に相談してきたっけ。アンドレを説得してくれって。俺は初めて、

あんたに意見したんだ。あの二人を見守ってやってほしいって。」

「そう・・・だったね。教えとくれよエルフ。あんたはどうしてあんなに頑固に二人の恋を応援したんだい?」マロンは寂しげに笑った。

「それはほら、俺はアンドレがミシェルと同様に可愛くて仕方がなかったしね。それに何度か見かけたんだ。

庭園の片隅で、二人がそうっと寄り添って沈む夕日をみているところを。」

 

エルフは目を閉じた。あの日の美しい光景を彼は忘れられない。翳りゆく日の光の中で、季節の花々に囲まれて抱き合い口づける恋人達の姿を。

 

「マロンさんに怒られるかもしれないけど、ミシェルも一枚かんでいたらしいんだ。」

「そうだったのかい…フフフ。でもね、私だってそんなに頑固者じゃあなかったのさ。オスカル様が

とてもお疲れの夜にね、アンドレにあることを頼んだんだ。」

 

オレンジピールとナッツをふんだんにのせたクッキーと残りの生地を丸めてクルミをのっけただけのクッキーを一つの皿に一緒に盛ってマロンはアンドレに託した。

「オスカル様の部屋に持っていっておくれ。二人でお上がり。」

あくる日の朝、お皿のお菓子が綺麗になくなっているのを見てマロンは嬉しくって泣いた。

 

ようやく・・・食べてくださったんですね、お嬢様。

 

窓の方を見やり、柔らかく微笑むマロンを見ながら、エルフは言った。

 

「その時のクッキーがこれ、なんだね?」自分の前に置かれている菓子を指さした。

 

「そう!本当に二人とも喜んでくれたのさ。だから今日は作ってみたんだよ。」

そう言ってマロンは、菓子鉢に盛られたクッキーを数枚白い小皿に移し自分のベッド脇にあるマリア像の前にそっと置いた。

 

「もしかすると、二人が見つけてくれて私を訪ねて来てくれないかな、と思ってね。」

「そうだね。俺も会いたいよ、あの二人に。」

 

今はいない恋人達の幻影が見えているかのように、エルフとマロンは庭園の方を見やった。

 

翳りゆく部屋で。

 

FIN

 

翳りゆく部屋・・・松任谷由実さんの曲の中で、タイトル、歌詞が一番好きな曲です。あの曲に出てくる

切ない背景を、拙作を書きながら思い出してしまいました。フランスのお菓子については、あまりにも奥が深く、今回は馴染みの深い「クッキー」で話を進めました。私が浅学ゆえ、ご了承ください。