「アンドレ、これ、今日中に決済お願いしますね。」そう言いながら営業部のジェシカは
アンドレの机の上に書類を置いた。
「あ、了解です。すぐに決済しちゃいますね。」そう言ってアンドレが書類に手を伸ばした時、ジェシカの細い指が彼の手の甲にのせられた。少し驚いて彼女を見上げるアンドレ。
「ね、最近のあなた、とってもセクシーだわ。」艶然と微笑む彼女。
あ・・・思い出した。彼女は、彼女がいるフロアーの男性全員をいわゆる”兄弟”にしてしまうという華やかな戦歴を持つ女性だと聞いたことがある。更に耳にした噂では、最近アンドレに
目をつけている、ということも。「アンドレお前、気をつけろよ。魂まで抜かれっちまうぞ。」
同僚がコーヒーが入った紙コップ片手に笑っていたっけ。やれやれっと・・・。
「それはどうもありがとう。君もとってもチャーミングだね。」穏やかな微笑みを返し、仕事にとりかかろうとすると、紙と紙の間から、香水の香りがする薄ピンク色のメモがはらりと落ちた。
「七時にウエリントン・ホテル一階のバー・ラウンジにいらしてね。1時間だけお待ちします。」
なるほどね・・・こうやって男を堕とすわけね・・・ある意味、その戦術の巧みさに感心しつつ、アンドレはメモをポン・・・とゴミ箱に放り込んだ。
定時のベルが鳴った。
カシャリとタイムカードを押し、アンドレが帰ろうとすると、いつの間にか先ほどの香水のニオイが彼の鼻先に漂った。言うまでもない…ジェシカだ。
「ああ、お疲れさまジェシカ。」アンドレはニッコリと笑った。それには答えず、女王様は
余裕の笑みを浮かべて彼に一方的なリクエストを呈示した。
「夜を・・・匂わせるような暗めのジャケットを着て来てね。コロンは控えめに。その黒縁メガネは外してちょうだいそれと・・・。」それを遮るように、アンドレは言った。
「せっかくだけど、先約があるんだ。悪いけど他の彼を誘ってくれ。君だったらnonという無粋な男はいないさ・・・俺以外はね。」
自信たっぷりのジェシカの表情がかわいそうなほどひきつった。ごめんよ、ジェシカ。あんまり自信たっぷりの女は好みじゃないんだ、俺は。
「よい週末をね。」そう言ってアンドレは駅に急いだ。
週末・・・どこに行こうっていうんだ、俺は。
あの日、「エッフェル」でオスカルと抱き合った時、彼女の体が震えた感触が忘れられない。
もし震えていなかったら、彼女の顎をとらえ、迷わず口づけていた。でも、できなかった。
それなのに、泣けてくるほどの彼女への愛おしさが痛いほど自分を支配したんだ。
「なんて、美しく、ガラス細工みたいな女なんだ。」そう思ったアンドレは、彼女を自分の胸からそっと引き離し、豊かな彼女の髪を上から下へとゆっくりと撫で、片方の手で頬に触れた。
もしかして、キスされる・・・・?そんな甘い期待と少しの恐怖を感じていたオスカルの瞳は、安堵感と少しの失望を湛えていた。
「怒ったかい?でも、遊びじゃない。俺の体の底から湧き上がる気持ちだ。」
「怒ってなんかいないわ。ただ、不慣れなの、私。いい年をしてね。話したでしょう?かなり
歪んだ学生生活送ってたし。まっとうなテイーンエイジャーの恋もできなかったから。」
「それ、今から俺とやりなおすってのはどう?役不足かもしれないけど。」
「役不足、だなんて・・・・。」
その時、アンドレの電話がなった。エドガーからだ。
「何だよ、ママ。ずいぶん長い間、店番させるね。」
「何言ってるのよ、バカ。あんた達のためにここでパスタ食べてんでしょ。ん・・・まあ、
カワイイ男目の前に私もオイシイ思いしてるけどさ。」
「そりゃどうも。冷蔵庫の中身、適当に料理させてもらってる。」
「そんなのはどうでもいいわ。それより、せめて連絡先ぐらい交換しなさいよね。・・・もう
二人その気になったんなら今夜ベッドインしたっていいんじゃないのお?まあ、オスカルは奥手だからね、色々教えてやんないとダメだけどね。」
「まったく・・・ママにはかなわないね。はいはい、わかりました。あと1時間位で帰るのね。
わかったよ。」
このやりとりを(ベッドインの部分はさすがに言わなかった。)オスカルに話すと笑い転げ、
二人は連絡先を交換した。最後に冷凍室からピザを失敬して二人でつまみながら
互いの最寄り駅を確認した。
「俺はA駅なんだ。オスカルはW駅なの?駅前に大きなスーパーがあるでしょ。」
「よく、知ってるのね。」
「だって、A駅と近いじゃない?自分が住んでるところはコンビニは幾つもあるけど、スーパーはいまいち。よく行くんだ、あのスーパー。」
そんな話をしながら、そのうちにママが戻ってきて、冷やかされ、けなされて笑いながら、
その日はお開きになった。
週末の駅前は、訳もなく人が多い。あやふやな期待や楽しみに満ちて、人々が繰り出して来てるのだろう。もしかして、彼女に出会う前ならば、今頃ジェシカとホテルの部屋をとって、シャワーでも浴びていたかもしれない。でも今は、オスカル以外の女に何の興味もなくなってしまった。いや・・もとより誰にも興味などもったことはないのかも、しれないな。
そんなことを思いながらぼんやりと地下鉄に乗り何となく降りた。
「ありゃ・・・。」そこは、W駅。別に彼女と約束したわけじゃないのに、バカだな、俺は。
自己ツッコミをしつつ、アンドレはここのスーパーで買い物をしていこうと決めた。ここの
ブリオッシュは絶品だし、チーズの種類も多い。
アンドレはカートを押しながらゆっくりと食品売り場を回っていた。必要なものはたいがい揃ったが、案外好きなのが玩具菓子のコーナー。特に最近は、大人が目を見張るほど精巧で美しい彩色のおもちゃが少しばかりの菓子と共に申し訳ないほどの安値で売られている。それを
見ていると、おもちゃのカメラがあった。小さな頃からやはり好きだったカメラ。
「父さん・・・。」懐かしくそのカメラを手に取っていると、隣に人の気配がした。
「あ・・・。」オスカルとアンドレは同時に声を発した。モデル並みの男女が玩具菓子の売り場で
互いに商品を手に取っていたのだから。
「オ、オスカル・・・こんばんわ。妙な所で出会ったね、俺達。」
「あ、あのごめんなさい。」オスカルはバツが悪そうに笑った。手に握っているのは小さな
テイーポット、シュガーポット、ミルクポット、コーヒーカップ4客が1パッケージになっている
「おままごとセット。」
「私、小さい頃から習い事ばかりで・・・欲しかったのね、昔。だからなんだかなつかしくて。」
「・・・・買おうよ。俺もこれ、買おうと思ってた。プレゼントするよ、それ。」
「本当?」
「ついでにこれも、買わないか?」アンドレが手に取ったのは、テイーセットがのっかる
テーブルと椅子のセット。
二人ともレジに行って、アンドレはオスカルの分の買い物に簡単なリボンをつけてもらった。
「ありがとう、本当に嬉しい!」オスカルは顔をほころばせた。
サファイアや、エメラルドが似合うゴージャスな女が、玩具菓子で大喜びしているのが、可愛いを通り越して、なんだか妖精を見ているようでアンドレはくすぐったい感情にとらわれた。
スーパーを出て、二人は並んで歩きだした。
「どう?運命の再会だし、晩御飯でも一緒に。」アンドレは言った。
「あの・・・。」オスカルがもそもそと言った。
「お礼って言ってはなんだけど、ウチに来る?スーパーで色々買ったし、このままお店に入るよりは、部屋で何か食事でも。」
「え・・・?いいの?本当に?」
「大したおもてなしはできないけど。」
うわ・・・ロマンス映画みたいな展開だな・・・。あ、でもこれだけは譲れない。
「じゃあね、もう一軒店に寄りたい。」
「いいけど、何?」
「どこか花屋を。女性にお呼ばれしたんだから、花束を買いたいな。」
続く。
なるべく早く、upします。
18世紀の二人ですが、お花を買ってあげる絵が見つかったので、アップします。写真の方は、「テイファニーで朝食を。」ヘップバーンにあげるおもちゃの指輪にテイファニーがちゃんと
細工加工をしてくれるところがすごく好きです。アンドレがおもちゃを買ってあげるところ、
この辺から妄想してます。