赤塚先生の思い出 | アンドレ 人間山脈

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ダイイチ直営店の床にはこんなステッカーが春先までありました。

踏んでしまう訳にいかんので避けるのが大変やった・・。えっ


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もっと踏む訳にいかん・・!ガーン
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今はもう剥がされてるけど、欲しいのう♪これ。




さて、こないだの話の続き。


ツアー企画ではありますが、

中学生の頃に赤塚不二夫先生と旅行に行きました。

小学生やったわしの弟も一緒やった。

メンバーは全部で15人くらいだった記憶。


成田空港が出来て間もない頃やったと思う。

1ドル360円の固定レートから、変動相場になってすぐ。

240円になってお得な感じで。今からすれば損?やけど・・


行き先はフィリピンのセブ島。リゾート旅行でした。

向こうではマニラ市内観光をチョコチョコと。

それ以外はずっと島でのんびり海水浴♪


赤塚先生とは4~5日間ずっとそばにおったけど、

もう「バカボンのパパ」そのものな方でした♪




天真爛漫でいつもニコニコ。

朝から晩まで途切れることなくお酒を飲んでゴロゴロ。


とにかく若いオネーチャンが好きでした。

浜辺に水着の女性を見つけると、

「わしがオイルを塗ってあげるのだ!」

有無を言わさず、ぬりぬり・・ラブラブ!


少年のわしが「ボクも塗ってほしいのだ♪」とせがむと、

聞こえないフリ・・ガーン


難しいコトや面倒くさいコトはそっちのけ。


それでいて高名な漫画家としておごることもなく、

寝る、飲む、触る、遊ぶ、イタズラ、のグータラ三昧。


タバコの量も凄まじかったのう・・。


ホンマにリアル「バカボンのパパ」でした。


でもどんな悪ふざけする時も、

目の奥はは哲学的だったのが印象的。

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一番の思い出は幼少の頃の話を聞かせていただいた事。


戦争中に旧満州で生まれ育って、とても貧しかったという話。

当時、毎日食べていたという「すいとん」を浜辺で作ってくれました。


水で練った小麦粉を手でちぎって、

わずかな醤油で味付けした汁に入れるだけの粗末、いや素朴な物。

Tシャツにその場で直筆サインも描いてくれました。
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お亡くなりになられて、もう1年・・


謹んでご冥福をお祈りいたします。



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