44歳 自然妊娠 Ⅱ
「心配症」になってはいけないよ!
中国語に「心配」という言葉がない。
中国は漢字の国。「心配」は漢字で書くのに、「心配」という言葉がない。
ですから、中国人に、「心配」の漢字を書いても、言葉の意味が通じない。
ちなみに、中国では心配のことを「擔心」という。
その意味は、心の荷物になる。心に負担がかかる。
「心配」は、日本民族特有の精神文化。
その「擔心」を日本語に翻訳しようと思うと「心配」ということになる。しかし、日本では、本来の「心配」の意味は、心配りのことをいう。
心を配って世話する。心遣い。配慮する。心にかける。気にかける。
そうなると、「心配」は決して悪いことではない、むしろ美徳のようにも思う。
民族性の違いを感じる。
「心配」と「擔心」、言ってみれば、これは単なる言葉にすぎないが、言おうとしている意味は同じだ。
でも、ニュアンス的な響きや心因的な表現で言うと大分違うような気がする。
「心配」は相手を思い、相手に気を使う感情があり、「擔心」はむしろ自分の感情が中心となっているように思うのだが。
こうした何気ない言葉の選び方、その使い方から、その国の民族特有の心理が伺われるという意味では面白い。
日本人は、何かと他人に気を使いすぎる、中国人は、自己主張が上手い、ということが言えましょう。
他人の子を育てることは「陰徳」に属す。
あなたはシングルファーザーと結婚し、他人が産んだ2人の子供の面倒を見ているね。並大抵の気遣い・気配りではないと思う。
運命哲学では、他人の子の面倒や世話をすることは「陰徳」に属し、その徳は高い。ゆえに、天によってよい報いがあるという。
だから、心配はさて置き、徒に不安がるな!
心配りの性質、これ、「心配性」。でも、「心配症」になってはいけないよ!
「心配」は、些細な事まで気にかける性質、これ、日本民族特有の精神文化。
でも、意味なく心配ばかりすると全体のバランスが崩れる。だから「心配症」という心の病にかかる。
「心配症」、これ、「不安症」の意味だよ。
「初心貫徹、自然妊娠を目指す」と、あなたは言いましたね。
志があって、目的をしっかりと自分で決められることは知的で理性が働いている証。だから、あなたは「精神派」なんですね。
でも、考えすぎるとバランスが崩れるよ。あとは実行するのみですよね。
あなたが悟ったように、「やはり自分が強くならなくては、」
人は自ら悟った次点でそうなれるよ。「自覚」とはそういうものです。
人工妊娠中絶でない限り、流産は「天命」だ。
天地の自然エネルギーが交わり、二気が合わさって万物の命が創成される。
夫婦もまた、「交わる」ことで赤ちゃんとなる命が授かる。
時として天地が荒れて万物の命が犠牲になることもあるが、人智では計り知れない何か「自然のわけ」でもあったのだろう。
天地が行く道、これを、「天道」という。
万物はこれに従う、これを「天命」という。
ゆえに、流産は「天命」だ。
あなたの場合は「流産のトラウマ」。不安に思うのはやめましょう!
心のケガ、心の傷なんです。流産が原因で心が傷ついたのです。
それを「不安」だと捉えてしまうと、それだけ心の傷が癒せない。
どんなに悲しいことでも、時が解決してくれますよ。
「不安は幻だ!」、不安は自分の幻想にすぎない。
戒めを守れば、不安に心配をかけることはない。
あなたが仏教徒なら「五戒」を知ってるね。聖書にも「モーゼの十戒」がある。
私たち人間は、人として生まれたからには、「人道」を行く運命にある。
この運命を受け入れて、人としてやってはいけない「戒め」を守り、「足ることを知る心」「感謝する心」、これがあれば十分。自ずから不安という幻想は暴走しない。これを信じることが「信念」につながる。日本人の感性を活かすことだね。
最後に、本をいつも傍に置いてくれて有難う!!
私は、1989年より「医療新報」という新聞で6年間に渡り、「気功心法」という題で、心の在り方で病が良くもなり悪くもなる臨床実例を連載させて頂きました。
その時、日本人の師匠に「読者が、枕もとに置きたくなる本を書きなさい」と教えられすごく感動しました。それで1995年に「気功心法」
を初めて出版しました。
ニッポンの感性、本当に素晴らしい !!
これを誇りに思いなさいよ。自信が出て不安消えるよ!
あんどうよしみ