世界的な名声を得る一方、設計図通りに作った建物を「イメージに合わない」と無償で施工会社に造り直させたりして土建業界では頗る評判が悪い。階段に手すりを付けなかったり、狭い出入り口を一つしか設けないなど安全性を軽視する傾向もある。デザイン重視の余り高齢者や障害者などの社会的弱者に対する配慮が足りず、バリアフリーと逆行する事も多い。神戸の教会を設計時にその点を指摘されると「他の人が手助けしてやればいい」と取り合わなかったという。しかしフランク・ロイド・ライトを筆頭に、世界的建築家というのは大なり小なりそういう傾向があるのが普通で、安藤が特殊な訳ではないとの声もある。(Wikipediaより引用)

建築ニュース


建築物を作った背景を、有名建築家の文献を参考にしたり、安藤さん自身の意見を踏まえて紹介している。

安藤忠雄は自分の立場を明確にするところが好きだ。

建築家が建築主や施行者との間で、自らの「想い」を形にしていくかという苦悩も描かれている。

なにもないところから建築物をかたちづくるということは建築家が建築主や施行者それぞれの思いがあるぶん大変だろう。

世界観光都市であるパリなども建築語らずして言い表せないため、様々な都市についても書かれている。

世界を建築の観点から眺めることができる本。建築関係者だけでなく、世界の都市や景観に興味のあるかたは必見。

建築 子ども部屋

今日は名古屋に出かけました。管理人は学生時代名古屋で過ごしていたので非常に懐かしい感じがしました。名駅前はかなり様変わりしている印象でした。高層ビルの建設はまだまだ続くようです。ミッドランドスクエアの存在感はすごかった。ヴィトンのお店が通りを挟んである光景も変な感じがしましたが、この辺に名古屋の好況を感じました。名古屋 高層ビル
建築家、安藤忠雄は大阪府大阪市港区生まれ。ボクシングの試合で得たファイトマネーなどを手にアメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアを旅行しながら、独学で建築を学ぶ。その頃に、彼が撮影した写真はルイス・カーンの作品集などで使われている。

双生児の兄として生まれる。母の実家、安藤家との約束で、旭区の祖父母に育てられる。双子の弟は北山孝雄。東京で都市コンサルタント業/商品デザイン業-北山創造研究所を経営。3人兄弟で一番下の弟は建築家の北山孝二郎(ピーター・アイゼンマンとのコラボレーションで名を馳せた)。初期の作品(ローズガーデン/1977/神戸市生田区、等)のいくつかは弟、孝雄の所属していた(株)浜野商品研究所(1992年、(株)浜野総合研究所と改名<代表=浜野安宏(セツ・モードセミナー出身)>)と共に実現した。

一般的に独学と知られているが、工業高校卒業後は長沢節が創った美術学校であるセツ・モードセミナーに参加し、大阪芸術大学への入学歴(後に中退)や、建築事務所での短期勤務歴(最終的に影響を受けた建築家の1人として、都市計画家として主な活動をした水谷穎介氏が挙げられる。)はある。 その後、独学を母体に通信教育等を利用しインテリア/SD等を学ぶ。建築以前の初期作品には関西を中心とした喫茶店等のインテリアデザインが有る。

1969年に安藤忠雄建築研究所を大阪に設立。個人住宅を多く手がけた。「住吉の長屋」(大阪)が高く評価され、大規模な公共建築ではなくごく小さな個人住宅としてはじめて日本建築学会賞を獲得した。以降、コンクリート打ち放しと幾何学的なフォルムによる独自の表現を確立し、世界的な評価を得る。1980年代は関西周辺(特に神戸・北野町、大阪・心斎橋)での商業施設設計や寺院・教会設計が相次ぐが、1990年代以降は公共建築、美術館建築、また全国や海外の仕事も増えている。また、阪神タイガースファンである。今は亡き愛犬は迷子になり、さ迷う所を安藤氏が保護したのだが、元飼い主が現れないので事務所で飼う事になった。名前はコルビュジエに肖りコルと名づけられた。

1987年、イェール大学客員教授に就任する。
1988年、コロンビア大学客員教授に就任する。
1989年、ハーバード大学客員教授に就任する。
1997年、東京大学工学部教授に就任する。
2002年、南カリフォルニア大学客員教授に就任する。
2003年、東京大学を定年退官して、名誉教授となる。
2005年、東京大学から特別栄誉教授の終身称号を授与される。


(Wikipediaより引用)

二世帯住宅

大阪高等裁判所は4月13日、分譲マンションを値下げ販売した兵庫県住宅供給公社に、住宅購入者への賠償を命じる判決を下した。売れ残った住戸を市場価格より大幅に安く売ったことで、値下げ前の購入者に損害を与えたと判断した。

問題のマンションは、安藤忠雄建築研究所が設計した総戸数203の「マリナージュ芦屋」(兵庫県芦屋市)だ。兵庫県住宅供給公社が、阪神大震災後の復興事業として1999年に完成させた。2002年には、売れ残っていた70戸の平均坪単価を約165万円から83万円に下げて販売した。

大阪高裁は判決で、83万円という坪単価は市場価格の下限より10%以上安い不適正な価格だと見なした。同公社は一般の分譲会社よりも価格を適正に設定する責任が重いのに、不適正な価格設定によって当初の価格で売った住戸の資産価値を大幅に下げたと認定した。同公社の価格設定の責任を重く見たのは、公的な法人であるだけでなく、購入者が購入後5年以内に転売することを制限し、資産価値の低下による損害を避けにくくしていたことが根拠になっている。

nikkeibp.jp 2007年4月20日 9時17分

元弁護士中坊公平さんと建築家安藤忠雄さんが呼び掛けて瀬戸内海一帯の植樹を支援している民間団体「瀬戸内オリーブ基金」が近く、香川県にNPO法人(特定非営利活動法人)の認可を申請する。

 これまで大阪市にある安藤さんの事務所で業務をこなしてきたが、かつて産業廃棄物の不法投棄が問題となり、発足のきっかけになった香川県土庄町の豊島に事務局を置いて専従スタッフが対応することで、よりきめ細かな対応を目指す。

 基金は、豊島をめぐる国の公害調停で住民側弁護団長を務めた中坊さんらの呼び掛けで2000年に発足。1口1000円の募金を求めたところ、衣料品チェーン「ユニクロ」(山口市)の協力もあり2億円以上が集まった。

 約70万円の助成を受け、小豆島の荒れ地にオリーブの苗木200本を植えた土庄町の毛利成一さん(63)は「増える一方の耕作放棄地をオリーブで埋めたい。過疎の島の観光資源にもなり、助成はありがたい」と喜ぶ。問い合わせは基金事務局、電話0879(68)2911。


(共同2007年4月16日 08時53分)

安藤 忠雄(あんどう ただお、1941年9月13日 - )は日本人の建築家。東京大学特別栄誉教授。21世紀臨調特別顧問。打ち放しコンクリートの住宅や商業建築を次々と発表し、一世を風靡した。名声が上がるに従い、博物館・娯楽施設・宗教施設・事務所等、作品の幅は広がり、規模も大きくなるが、逆に初期の小規模建築の持っていた魅力が失われているという見方も有る。 特に関西方面での作品が目立つ。 また、元プロボクサー(リングネームはグレート安藤。戦歴、23戦13勝3敗7分け)でもある。


(Wikipediaより引用)