全てに必要な「成長できる関係性」
悩み相談を聞いたり、お客様の恋愛や家庭の話を聞いたり、私の周りにおいて、全ての人と人との関係性の中で最も必要であり、いい関係を築くのに大切なことについて、ダラダラとお話しします。笑
恋愛でも、友達でも、親子でも、一番してはいけないのは
「無責任に甘やかす」
です。
相手の成長を妨げたり、自尊心が育たない原因になったり、自己肯定感が低くなったり、依存型になったり、何かをやり遂げる力がつかない、弱い人になってしまうから。
「甘やかす」と「愛情」は、別な事を理解する必要がある。
愛情とは、相手の夢を叶える手助けが出来たり、その人が成長し豊かな将来を過ごせるよう、目先ではなくもっと先の事のために考えてあげられること。
目の前の苦痛をとりあえず減らしてあげる(後のことは考えず)は、一見優しいけど、時として無責任な行動。
何かを頑張ってる相手に対しての行動で、気を付けたい重要なこと!!
例えば、マラソンランナーの恋人か子供がいるとする。
一位を狙ってるわけではなく、自分のペースでもいいから、完走したいと思ってるとする。
そりゃ、キツい。つまずいて転んで膝から血が出たりするかもしれない。でも、本人がまだ走り続けてたら、邪魔しちゃいけない。
途中で立ち止まることもあるかもしれない。でも、本人がリタイアすると言ってないなら、見守るべき。
ここで、
「無理しないで、途中で辞めてもいいよ。」
「…もう、辞めちゃえば?」
「マラソン辞めて、編み物とかしたらどう?」
「私が側にいるよ?まだリタイアしないの?」
「ほら、ケーキ焼いたよ、食べたいでしょ?」
「ねー走ってないで、構ってよ!」
↑こんなこと言われてたら、完走したくても苦しいだけ。
かと言って、
「じゃー応援する!よし、踏ん張れ!私がいるからね!頑張れ頑張れ!!」
「おーい!応援してるよー!ここにいるからねー!!」
応援してるアピールも、いらない。
「本当に困ったときは、支えるからね^ ^」
だけ、1回だけ言ってくれれば、安心して頑張れる。
「私が支えるからね!」
「…まだ走れるの?支えるよ?」
「そろそらどう?頼りたくなってきた?」
とか、これも邪魔する行為で、優しさではない。
何度も言われると人はそこを頼ろうと思えなくなるから、頼られたいのならば黙ってそっと見守る方が、いい。
甘やかすことで、自分の存在意義を計らない。
何か助けが必要なら、言ってくるから大丈夫。
それまでは何か大変そうでも、そっとして詮索しない。
相手の人生を尊重して、信じる。
↑
相手が20歳未満でないなら、こうする思うべき。
仕事や何かを頑張ってる、パートナー、友達、子供に対して。
いま、コロナで打撃を受けてる人は沢山いる。
その中でも、「ピンチをチャンスに変えられる人」になるには、世の中の動きを見つつ行動することが必須。
大変ながらも行動してる人に、「私がいるんだから、頑張るの辞めたら?辞めていいよ?」なんて、相手のことを本当に考えられる人だったら、絶対に言わない。
成功するか失敗するかは、やってみないとわからない。そんな試行錯誤をしながら人は学び成長し、その先の自分の未来を切り開く。
だから、「失敗したらどうするの?」なんて心配は意味のないことで、前を向いてる人の視界を邪魔する言葉。
専門でない業種に対してのアドバイスも、絶対したらダメ。
自分が何年もして来てる事に対して、未経験の人が妄想で心配したりアドバイスすることほど意味のないことはないから。
例えば主婦だって、主婦未経験の人に「いつも料理してるの?包丁を使うんでしょ?それって、危ないんじゃないの?何か業者に頼むとか、どうにか出来ないの?」と、お門違いなことを言われるのと同じ。
むしろ、何かが大変で辞めたいとは思ってるけど、まだ決断はしてないような状況ならば、
×「辞めちゃえばいいよ!無理することない!大変だったね!よしよし!ゆっくり他を探せばいいからね!」
○「そっか、大変なんだね。辞めてもいいし、辞めると決めたら、辞めるのは簡単だと思う。でも、悔いがないとこまで頑張ってからでもいいかもよ。愚痴ならいつでも聞くよ^ ^」
逃げることを勧めることは、とにかくダメ。
あくまで選択は本人に委ねる。
転ぶたびに
「あー痛そう!可哀想に!もー心配!」と言う人に、頼ろうと思えない。ここに頼ろうと思う人は、成長をする気がない人。
「痛そうだね。倒れたら受け止めるけど、まだ倒れてないね!」とドンと構えててる人こそ、人を成長させる。
無責任に甘やかす人の特徴は、これ。
甘やかすことで、自分の隙間を埋める、自分に依存させたい人。
↑
相手のことを思っての言動は、本当に相手のためになる内容? 自分のエゴのために言ってない?
私自身は、「シンドかったら辞めちゃえばいいよ」と言われるのが心の底から嫌で、そんな言葉を聞くキャパが全くなく、耳を塞ぎたくなってしまう。 だって、ツラくても楽しく走ってるから。
「ツラい=ツラい」
じゃない場合が多い事を知って欲しい。
挑戦って、ツラいこともあるけど、そこも含めて楽しいじゃん!人生って、挑戦の繰り返しじゃん!
エベレスト山に登る人だって、何度も泣いたり弱音を吐いたりしながらも、ツラい思いをしながらも登る。そして、そこでしか見れない景色を見て、人生の経験にして、成長する。経験値が上がり、自信もつく。
「経験値が上がり、自信がつく。= 人生の喜び」
これは、誰かがしてあげられる事ではなく、本人の経験でしか体感できない。
これは、少し男性的な考え方で、こういう経験が少ない人や女性には、もしかしたら理解があまりないかもしれないけど、とーーーーーっても大切なこと。
自分の人生を豊かにするのは、目の前のお金や安定だけじゃない。
中には、全力疾走で盲目に走ってるように見えて、少し休んでもいいのにな… と言ってあげたくなるような人もいるかもしれない。走り続けて足が折れてることにも気付いてないような人。
そんな人に対しても、「ねー、休めば?」より一度歩み寄りが大事。走り続けてる理由があるかもしれない。
私は、もっと走れるのはわかってるのに、いつもジョギング程度で、たまにダッシュするけど、あと5倍は頑張れるのをわかってるのに、つい怠けてるタイプ。だから、そこで「そんなに走らなくてもいいのに!」とか言われると、「は?なんで?」ってなる。
泣きながら走ってもないし、他人とも比べずマイペース過ぎるペースでやってしまってるだけ。
出来る事や内容は、人と比べてどうかは関係ない。
私は身体がすごく小さいから、ちょっと何かやれると「すごいね!(そんなに小さいのに)」と言われることがあるけど… え、身体が小さいと何なの??? なんか、よくわからないw
上にも下にもいろんな人はいるだろうけど、上も下も関係なく、「私の人生を楽しんでる」から、そこには努力することも含まれてるし、挑戦することも、失敗を経験することも含まれてる。
やたらと人を甘やかしたい人は、優しい手を差し伸べてるつもりだと思うけど、それは努力の先にある大きな収穫の邪魔をしているよ。
むしろ、「倒れたら支えるから、楽な道より茨の道を選んでも大丈夫だよ!」と言える強さが、愛!
人が大変そうにしてるのを、黙って見るのはキツいよね。甘やかすのは感謝されるし楽だよね。
でも、そこも人を道連れにして自分が楽な方を選ばないで!!
相手が大切な人なら、その人の成長のために自分が甘やかすことを我慢することも必要。
んー 甘やかしたい人は、自分が普通のことしてるだけでもいちいち「えらいね〜!」と言われたい?
ちょっと愚痴っただけでも、そのたびに過剰に心配されて、様子見の電話を何度もされると嬉しい? 優しいなーと思う??
3歳児なら喜ぶかもしれないけど、それで喜ぶ人はきっと少ないよね。いちいち過剰反応されたら、この人に愚痴らなきゃよかったと思うよね。
…久しぶりの、まとまりのない、やたら長い心の声。
ご清聴、ありがとうございました。笑
ね!またマラソンに例えるならば、今は土砂降りで、全員が大変なとき。
そんな中でアイディア商品で稼ぐ人もいれば、リタイアする人も、それを勧める人もいたり。
まだ、歩く速さでも走れる人は、走ろうと思えてる人は、走ったらいいよね! リスクヘッジはしつつも、全ての可能性を肯定しよう!走る人の力を信じよう!!
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