映画と私 -599ページ目

perfume マカロニ


J-POPとはほとんど無縁で生きてますが、
さっき、テレビで偶然パフュームをみて、きゅんとなりました。
なんかかわいいなあとは思ってたけど、マカロニという曲をちゃんときいてかなりやられた。
ただ曲きくだけじゃなくて、踊ってるのをみたからよかった。
のっちという子がタイプだな。みんなまだ19歳か。どうなってくか楽しみ。
これからも、なんとなく見守ってみようと。

エミリー・ウングワレー展


国立国際美術館の「エミリー・ウングワレー展」に行ってきた。
エミリー・ウングワレーは、オーストラリアのアボリジニであり、
80歳を目前に初めて、カンヴァスを手にして、
亡くなるまでの8年の間に3千から4千もの作品を残した。

展示してある部屋に入った瞬間から、もう言葉を失った。
ただ、口を開けて眺めてるだけで精一杯なくらい打ちのめされた。
絵の中に、描いた人のエネルギーが込められてるとはっきり断言できるぐらい。
その色とかエネルギーが、どんどんこっちにむかってやってくる。
ブッラケージの映画のように、絵が動きだしそうだった。

美術館にいて思うのは、その場所の特異性。
作品は、もちろん定期的に変わっていくのだけど、今はエミリーの絵だけが全部の壁に飾られてる。
こんなにきれいな色の絵がこんなにたくさんひとつのところにあるって本当すごいなと思う。
単純なことなんだけど。
でも、エミリーの絵があまりにもきれいで、そんなことすら不思議に思えてきた。
次は、新美術館で開催されるみたいで、もう一度足を運びたい。
違う美術館ではまた何か違うふうにみえてくるかもしれない。



              

薔薇は生きてる


「薔薇は生きてる」は山川彌千枝が8歳から、結核で亡くなる16歳までに残した散文、
短歌、日記、書簡を本にしたものである。
彌千枝は、ドイツ語教授の父と歌人の母の間にうまれ、9人兄弟の末っ子だった。
 
彌千枝が死んでから75年。その言葉は今も色褪せてない。
読む前は、とても乙女チックなかんじなのかなと思ってた。
そういう部分もあるが、それよりももっと現実的なかんじだった。
病気の自分を哀れむよりも、冷静にみている。
 
ほとんど毎日かかさず書いてる日記は、病状がつらいので看護婦さんや母親にあたったこと、
明日からは心を入れ替えていい子になろう、本をたくさん読もう、など誓いをたてては、
また人にあったてしまうみたいなものが多い。
そのイライラしたかんじが1番ぐっときた。
 
明日こそは変わろうと誓いをたてれるのは、健康に生きてるからこそであって、
でも誓いを守れず、結局また明日と、その繰り返しが生きてることなのかもしれないけど
彌千枝の場合は、死ぬかもしれない中でそう思ってたのが悲しい。

彌千枝の言葉はとても正直だ。
病室の中での日記なのに、とても豊かなかんじがする。
自分の好きなもの、本や人形、兄弟、友人そして食べ物の描写はいきいきしてる。

友達にあてた手紙のしめくくり、
「私、この頃、夏蜜柑、食べてるの、そりゃあ、すっぱくて、おいしいわ。」
という一文が妙に心にひっかかった。
何気ない言葉に、はっとさせられる。