ヨッシーも、ヨシ爺となり後期高齢者になっちまっただ!

70歳を過ぎてからは、特急列車如く歳が急拡大だもんね!

こればかりは、防ぎようが有りません。せめてもの、今でも気持ちだけは50代?のつもりです。

今年3月末日をもって送迎バス運転手退職。ただ、自分では年内だけでも、最後の仕事をしたかった。現実は、80歳を前にした高齢者を雇用するところは有りません。

 

私は、小学生の頃から歌が好きでした。

実家は雑貨屋からトラック配送をしていたので、いろんな方達が店に出入りしていました。特にヤクザの親分。奥州梅屋一家。奥州寄居一家。旅芝居等の、荷物運送。からテキヤの運送等。繁華街で、ギター流しをしている若い衆も来ていました。そこでギターを覚えたのです。その頃から、音楽が大好きでした。

 

20代になると、ロックバンド全盛期。グループサウンズ。

時代を謳歌した演歌。男と女の辿る道。毎週末、ネオン求めてさ迷いました。

TV番組で、山川豊さんにお逢いしました。

凄く気さくな方で、写真も沢山一緒してくれました。

 

 

思い出の曲は、「函館本線」ですね!

今でも、時折唄っています。若い気出してね!!!

今の社会、世知が無い現代だけど、今年も残り半年です。 

ヨシ爺は、3月退職以来無職生活2カ月が過ぎても、引退せずに働き求めてきました。

趣味の畑には、週一通いで暇が多い日々です。先日、倉庫内冷蔵庫で古い蕎麦粉発見。勿体無いので、久しぶりに手打ち蕎麦を。賄い蕎麦として造りました。畑から、絹さや豆大量に摘み取って来たので、」どうなるか天麩羅にしてみました。

そば屋修行15年。

 

送バス運転手15年。

でも、最近高齢者事故が多いので、人身送迎も荷物配送も高齢を理由に排除扱い。

 

来年3月の80歳を前にして、責めて今年だけでも働き通したかった。 そんな時に、郡山市内でも超人気の蕎麦屋さん御主人と、職場状況について話する機会が有り、週一日でも何日でも構わないので、新人として働きたいと伝えました。此方の心境を把握してくれて、短時間バイトを承諾して戴きました。私の想いは、以前の経歴プライドは関係なく、大好きなお蕎麦屋さんで、今日は仕事して来たぞ!と、達成感が欲しかったのです。

ヤリタイ事全て尽くして、バブル経営破綻したけど、夢の峠の蕎麦屋は天国で開店。

人生双六出たとこ勝負!山あり谷あり何て、ヘイチャラだよ!!!

 

みちのく東北は梅雨入りかな。

この時期は、田植え作業の最終段階で、これが終われば疲れた体を癒す、温泉湯治の頃合いとなります。

昔からの温泉湯治は、押立温泉郷です。今では、ただ一軒だけが創業するさぎの湯宿。

 

ヨシ爺の天然温泉は炭酸水素塩泉です。と言っても、温泉宿の融雪プール内にあるのです。

源泉から湧き出る場所から、樽迄20M程。パイプを引いて湯を引き込んでいます。

源泉温度は、25度。安政の世から、昭和40年初期まで大きな鉄釜に源泉汲み込んでから、蒔きで湯沸かしします。そこから更に湯船に桶汲みして満たします。全て手作業で行われていましたが、ボイラーの時代になりました。従来の湯沸かし作業が、燃焼器のお陰て解消したかと思いましたが、施設3年もたたない内にボイラーが破損!

何故なら、余りにも温泉泉質硫黄鉄分が強くて、機械が壊れてしまったのです。

バブル期と共に、會津磐梯山麓にはスキー場やホテルが乱立しました。

この時に、湯治宿の上部に位置するリゾートから、単純泉45℃の共有が可能とありました。

ヨシ爺の、樽湯が出現したのは2010年頃だった。

猪苗代観光の取材をしていた時に、偶然にも天然温泉が湧き出している現場を見つけました。

笹藪の中から、茶色い水が何カ所も流れ出していた。

それは天然温泉かと、宿の女将さんに聞いたら、昔使っていた源泉が宿の裏にもありますよと。

すかさず現場を確認したら、今では使われていない源泉が、屋根から落ちる雪を溶かすプール内に流れていた。

冬季は、融雪に使うけど、3月から11月迄は使用ぜず川に流れだしていた。

勿体無いと思いました。炭酸水素塩泉には、素晴らしい身体機能回復の薬抗能力があるのです。

声が温泉湯治療法の原点なのです。宿主に了解を得て、源泉を使わせてもらう事にしました。地域農家の方から、昔使用していた味噌の大樽を譲り受けて、源泉を引いてきました。25℃しか無い為、45度の単純泉も湯船から流れ出すパイプから分配湯。

炭酸水素塩泉で、体の中に効能を浸透させてから、高温単純泉に浸かります。

ヨシ爺は、思い立ったらすぐに実行する、好き勝手男だからね!でも、強度の硫黄泉は、100ミリパイプが二週間も経つと、パイプの半分が湯垢で塞がってしまします。だから、掃除が必要になぅてきます。

 

樽湯清掃の帰り道。

昼食は、野口英世記念館隣にある、お土産売店蕎麦屋さん磐尚に立ち寄りました。

此処のお蕎麦は、高原蕎麦粉を使用して旨かったです。

 

 

ヨシ爺も、気が付けば高齢者になっちまっただよ! 

ジサマだと、今じゃや世から放り出されて無職人のありさまだ。

 寂しくも、想いに残るのは昭和の時代。

人との付き合いも、義理人情にあふれた時代でした。

夜毎、何かと振り返る日々を過ごしています。

 

 

 

10年もの間、サッカー教室送迎運転バイトしてきましたが、3月26日をもって退職しました。

此れまで、退職年齢を延長して戴いてきましたが、もはや後期高齢者ですからね!

我に返れば、自分でも信じれれないジサマ歳。

少年少女達の、純真な成長を陰ながら見て来ましたが、スポーツを通じて成長する過程は最高でした。

そんな子供達が、ヨシ爺にサプライズ!!

ありがとうね!!

 

 

今日は小学校の卒業式。 

ヨシ爺の児童クラブ送迎バイトは、本日をもって終了です。 

人の人生知らずして、自然の生殖物は四季毎に新たな芽生えが有ります。 

雑草にしても、強靭な生命力。

 此れを見ていると、その日の顔色見て暮らす人の世なんて最低だよ!

 他人様に迷惑かけない限り、我が人生は自由気ままに過ごす!

 

 

厳しかった冬から春の気配。早々と、各地から桜の開花が伝え始まりましたね!

みちのく郡山の、22日朝6時の気温はマイナス4.5℃でしたよ!

愛犬の散歩には、ジャンパーと手袋して冬の着こなしだぁ。

久し振りに、蕎麦打ちしてみました。

昔のヨシ爺は、会津の蕎麦打ち職人でした。

 

 

田舎蕎麦と更科系手打ち蕎麦

 

3月も残り十日となりましたね。

 今年の春は、ヨシ爺に取って何かと忙しい毎日です。10年来の送迎バイトは、ジサマだからクビだと! 高齢じゃ次の仕事もままならず、仕事探しに悩んでいます。何が起ころうと、ひとつずつケジメをつけて行かないと、ケリがつきません。幸福は、山あり谷あり10年毎の繰り返しだから。行き着くトコ迄、マイペースで走り抜きます。

今日は、自宅垣根の塗装仕事です。

25年12月に、塗装したばかりなのに、この状態にガックリ!

この失敗は、塗料の材質にあったのかもしれません。後始末が水洗いできる水性塗料購入しました。でも、塗料が剥がれてしまいました。陽の当たる場所が、15カ月でこの通りです。

今回は、油性塗料100%で塗り上げました。

 

 

厳しい寒さが続いていますが、来週3月15日あたりから春の兆しがやってきます。

郡山市小学校卒業式が23日。誰か知らないけど79歳になる。

お客様送迎運転手も、此れにて、引退します。

この歳じゃ、新しいも出逢いも遠のくばかりで、心身共にヨレヨレです。 

こんな時こそ、気晴らし農場の出番です。

 

 

何てったって、大自然の風情が相手だから、傷んだ心癒して戴きます。