ビバ!! SOCCER LIFE -81ページ目
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欧州移籍のパイオニア

昨日中田浩二のマルセイユ行きが決定となった。これで、現在欧州でプレーしている日本人は中田英、中村、小野、稲本、高原、柳沢、大久保、松井に中田浩二が加わって9人となる。このほかにも今まで欧州に挑んできた日本人は大勢いる。奥寺康彦、尾坂加寿夫、風間八宏、三浦和良、名波浩、川口能活、戸田和幸、広山望、鈴木隆行、城彰二、西沢明訓、藤田俊哉…。しかし現実的に考えれば、こんなに多くの選手が挑んだにもかかわらずほとんどが失敗に終わっているのだ。その原因はやはりコミュニケーションではないかと思う。日本語というのは、欧州の言葉とはだいぶ異なるため、日本人の語学習得力ははっきり言ってあまり高くない。これは、大久保なんかを見ていればよくわかるはずだ。そんな中でも、はじめから海外思考で、自主的にイタリア語を学んでいた中田がその成功例であろう。彼はイタリア1年目から大活躍し、カペッロ率いるビッグクラブASローマへ巣立っていったのである。今は調子を落としているが、そのうち完全復活してくれることだろう。
 語学力以外にも成功の秘訣がある。それは優秀な監督との出会いだ。自分の能力を信じ、使い続けてくれることだけでなく、サッカーに対する意識や、やる気、技術といった要素を高めてくれる監督に出会えることが重要なのである。ここで1970年代から80年代にかけて活躍した奥寺康彦の例を見ることにする。奥寺は、ブンデスリーガ在籍9シーズン、その間に234試合に出場して26ゴールを記録、優勝1回、準優勝3回という偉大な記録を残した「パイオニア」だった。当時25歳で、古河電工のプレーヤーだった奥寺に目をつけたのは1FCケルンの名将へネス・バイスバイラーだった。彼は奥寺の才能を見抜き、断られても再び移籍を申し込んだのである。そこで1年目から左ウイングに定着し大活躍をみせた奥寺はその年ドイツ・カップとブンデスリーガの2冠獲得に大きな貢献をしたのだった。しかしこの活躍は、突然の監督解任によって終わってしまうのである。奥寺が再び活躍を見せたのは昨年のEURO2004でギリシャを優勝に導いた名将オットー・レーハーゲル率いるブレーメンだった。この名将に誘われ、ブレーメンに移籍した奥寺は、左のボランチ、そして左のウイングバックとして大車輪の活躍を見せた。昇格したばかりっだたこのクラブは準優勝を果たしたのだ。奥寺は、ブレーメン在籍の5シーズンのうち3シーズンで準優勝という充実した時期を過ごしたのだった。この例に加え、中田のペルージャ時代の監督マッツォーネも彼を信頼し、スタメンに定着させたのだった。この事実からも、いかに監督との信頼関係が大切かがわかるのである。
 今後も欧州に移籍する日本人は増えるだろう。それはもちろん実力を備えているから獲得したいというのもあるだろうが、ジャパンマネー目当てという場合もあるかもしれない。しかし、いづれにせよチャンスをもらったからには自分や仲間を信じることも重要な要素である。中田浩二も、恩師トルシエに支えられ、マルセイユで成長を遂げてくれることを期待している。
 PS もはや死語かもしれないが、黄金の中盤は中田がマルセイユに行ったことによって変わるんじゃないかなーなんて思ったりして(笑)
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