今まで僕ははっきり物事を言うことを避けてきて、相手の想像力に任せる部分、いわゆる「余白」に頼って文章を書き、話し、伝えてきた。
むしろ、僕は他人の想像の中で自由に存在していたかったし、ある程度僕に対する解釈を受け手に委ねるという意味で、「余白」を操れるようになりたかった。
(そう言えば、木曜会の新人号に載せた詩の筆名も「余白」だった《李白と掛けて、とか、詩は頁の余白が多いから、とか言ってたけど》。読んだ人が自分を想像してくれたらいいやと思って、伝えたいこともなく、正味言葉の響きしか考えてなかった。あの詩たちは今思えば空っぽだった。
ある人は好きだと言ってくれたけど、たぶん当時の会長はそんなこともすべて見抜いていたんだと思う。もちろん否定はしない、あれらは確かに僕が生んだもので、責任は持ってる。)
今後僕がどう生きるにしても、このモラトリアムから脱するためには、人の中でじゃなく、人の間で、「自分」として確かに存在しなければならない。それは社会で生きていくということだ。
「ふりまわされてちゃダメ。ゆらゆらゆれて、流されてちゃダメ。どんな結末だってきっと後悔する。」
http://t.co/D9IbiQ9
要はこれからは、そういう余白主義的な考えをやめようと思う、ということ。少なくとも、一時。嘘偽りない自分を、はっきり、誰に対してもわかりやすく伝える。
実名(等身大)コミュニケーションの第一歩。
2011.3.25 02:18-02:52 on twitter
むしろ、僕は他人の想像の中で自由に存在していたかったし、ある程度僕に対する解釈を受け手に委ねるという意味で、「余白」を操れるようになりたかった。
(そう言えば、木曜会の新人号に載せた詩の筆名も「余白」だった《李白と掛けて、とか、詩は頁の余白が多いから、とか言ってたけど》。読んだ人が自分を想像してくれたらいいやと思って、伝えたいこともなく、正味言葉の響きしか考えてなかった。あの詩たちは今思えば空っぽだった。
ある人は好きだと言ってくれたけど、たぶん当時の会長はそんなこともすべて見抜いていたんだと思う。もちろん否定はしない、あれらは確かに僕が生んだもので、責任は持ってる。)
今後僕がどう生きるにしても、このモラトリアムから脱するためには、人の中でじゃなく、人の間で、「自分」として確かに存在しなければならない。それは社会で生きていくということだ。
「ふりまわされてちゃダメ。ゆらゆらゆれて、流されてちゃダメ。どんな結末だってきっと後悔する。」
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要はこれからは、そういう余白主義的な考えをやめようと思う、ということ。少なくとも、一時。嘘偽りない自分を、はっきり、誰に対してもわかりやすく伝える。
実名(等身大)コミュニケーションの第一歩。
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