1人目に妊娠は、突然起きた途端吐き気(いや、吐いたのかな?覚えていないほど)にやられ、起きている間ずっと続く吐き気になんとか耐えて産科に行き、妊娠を知らされ…でした。
いわゆる「書く歴」の長い私は、こんな状況でも「マタニティダイアリー書かなきゃ!」という本能が働き、とりあえずネットショップで「マタニティダイアリー」と書かれたものを買いました。
先の見えない苦しすぎるつわりの始まり、そんな中でも妊娠が分かった喜びや興奮、経験したことのない「今」の気持ちをちゃんと残しておきたい!
という思いが強かったようで、届いてすぐに書き始めたのを覚えています。
見開きで1週間、左側は日記のようにその日の気持ちや体調を書き、右側にはエコーのコピーや食べやすかったものを写真に撮り、その頃の喜びとして残しました。
もちろん妊娠初期は体調の振れ幅が大きく、(傾向と対策もつかめず、その日にならないと分からない辛さと闘っていたので)空白の日もたくさんありました。
今見返すと、あんなに辛かったのによく書いてたな…と思うと同時に、空白の日は本当に限界だったんだな…と、当時の自分をほめてあげたくなります。笑
安定期に入ると、体調が落ち着いてきてからのお出かけ写真も増え、「産休」という最後の自由時間を楽しんでいたのも伝わる内容で…
当時の自分に言ってやりたいことがたくさん思い浮かんできます。笑
これは本当におすすめできませんが、こんな私なので産後の病室でも書きまくっていました。
(出産を終えたママさんはみなさんご存知だと思いますが、入院中しかゆっくりできないので、これから出産を迎えられる方は、ぜひゆっくり過ごしてくださいね)
1人目の出産後は、とにかく興奮で眠れなかったので、スマホでみんなに報告した後、(もともとスマホを長い間見ることが苦手なので、その代わり?に)ずっとノートに向かっていました。
陣痛が起きて、耐えて、耐えて、耐えて、産まれてきたこと。
我が子を目にした感動と…とてつもない疲労感と経験したことのない痛みと…
なのに寝られない興奮状態も。
マタニティダイアリーはここまで記録して役目終了。
続く育児日記は、産休中にスタンプを使って自己流ノートを作りましたが…
全く使わずにお蔵入りしました。
理由は…産後に体と心が乱れすぎたから。
書くことを毎日続けられないほど、経験したことのない辛い日々が待っていました。
最大の敵は、乳腺炎でした。
上の子を出産後は、退院後1週間もせずに初めての激痛と高熱を経験。真夏なのに寒くて震えていたのを覚えています。
その後も4、5回ほどやられてしまい、「またこのパターンか…」と、抗うことのできない乳腺炎ルーティンに苦しめられるたび、夜泣きの激しかった長男の泣き声と共にどんどん気が滅入っていき…
本当に辛い産後でした。
そんな日々が産後数ヶ月続いたので、当然ながら育児日記をつける余裕がなく(むしろ自分の体調管理の方が最優先で)せっかく作ったマイ育児日記は、授乳した時刻を残すのが精一杯。
空白だらけで残っています。
次男のときも、産後無理して育児日記を残そうとせず、自分の心と身体が落ち着くまでは最低限の記録だけ残すよう心がけました。
結果として、ほぼ白紙だったマイ育児日記を反対側から使用することにし、1冊で2人の産後の記録を(書けなかった部分も含め)見返すことができる形になりました。
(それでも次男の出産後も乳腺炎にやられてしまったので…完敗です)
こうして記事を書きながら思い出すだけでも、辛かった産後でしたが…
こうやって書くことも含め、形に残すことで、「過去の自分と、それを乗り越えた先にある今の自分を褒めてあげたくなるきっかけ」になっているので、やはり書いて残すことをこれからも大切にしていきたいです。
そんなことに気づけたことに感謝しつつ、書き終えたいと思います。
今回もここまでお読みいただき、ありがとうございました。