いつもありがとうございます
昔から晴れ男とか雨男、雨女などという
雨になると 誰かの所為にしたがる人が
いたものです
雨は自然のことだが、どうやら雨にも人が
関与できるのではないかと、昔から人類は
察していたのではないだろうか
雨乞いの儀式というものも昔からある
本当に効果があったのだ・・・
確かに雨予報であっても、変えることはできる
逆の場合もありえることは、これまでブログ
でも紹介してきた
といっても、多くの人は信じていない・・・
でもあるんです。
今年の体育の日は、何年ぶりかで雨になったが、
素直にありのまま晴を信じれない意識が逆転
した・・・のでしょう
何のことだと?
不思議に思うのは無理もない
でも、事前にある行事を晴で迎えたい・・・
可能です。
信じれない人には叶わない
それだけのことです。
理屈はいらない。
信じるだけ、疑えば疑っただけ変な天気に
なるだけ
大きなエリアで臨むなら、それだけ時間的
ゆとりなども欲しいが、理屈ではないので
細かい条件などを出すことが疑いにもなる
晴れ男なる人物は、雨を考えない、雨の降る
中で何かの行事をやることさえ頭に浮かば
ないのかもしれない。
晴天の秋空の下で、気持ち焼く行事が
実施される状景を思い描けばいいのだ
が、ネガ人間はそうは思わないだけ
雨男は、必ず場を落すような心配ごとを
言い始める。
もし雨が降ったら?どうなるのですか?
びしょ濡れで強行ですか?
中止ですか?
リアルなイメージをさせられてしまう
びしょ濡れで肌が冷たい!
嫌だな~っ
悪気もなく、念じているわけでもないが
ただ、リアルっぽく心配したまま、性分の
まま話す男が雨男なのです。きっと!
ある狭いエリアで、特定の小行事を行い
たい場合などは、容易に可能です
広く、長い期間、誰かに疑われながら実行
するのは難しいかも知れません
それは、足を引張る要素や存在も多くなる
罪悪感の多い人とか、ネガティブ志向な
ひとが混じるとオカシナ雰囲気にもなり
やすい
理屈ではないといいつつ
もう、薄々お分かりかと思います
シンプルに願ったことは、叶いやすい
逆に複雑に想いが絡み合ったり、
もつれたり・・・変な意識が蔓延すると
天気もおかしな方に向かいます
自然条件の厳しい地域と瀬戸内の
ような穏やかな地域とでは、自ずと
集合意識も違いますよね
いいとか悪いとかで区別するのではなく
それ相応の暮らし方も必要だから
緊張感も違います・・・
天気に変化があって不思議はない
でも、理屈を超え、物理的現象を超え
人の意識も超えたところで、天気も
つながっているのですね
いい天気のためにも、環境を整え、
いいイメージに切り換えて・・・
穏やかに暮らしたいものです