「“What if ?”と考える」というお話です。
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アクティブ・ラーニングという考え方自体はすでに文科省の審議会などでも提唱され、学校教育でも取り入れられているが、単に子供たちが受け身ではなく主体的に学ぶ学習法という意味で使われることが多い。
しかし、構想力というのはまだ誰も考えたことのないものを生み出す力だから、あらかじめ答えが書かれている学習指導要領とは本来、相容れないものだ。
そもそも子供たちの構想力を引き出すためには、教師側にそれを促す力量が必要になるが、それが今の日本の教師たちにあるかどうか、甚だ疑問である。
むしろアクティブ・ラーニングは、AIなどを組み込んだ創作ゲームの形でやったほうが効果があるのではないかと思う。
わかりやすい例で言えば、多くのRPG(ロールプレイングゲーム)では、自分で選択して次のドアを開けると、全く別の運命が待っている。
これは人生そのものであり、そこでのカギは英語で言うところの「What if・・・?」(もし・・・だったらどうするか?)である。
たとえば、もしコロンブスがイタリアのコルシカ島で生まれた海洋都市ジェノバで育ったのではなく文化の中心地ローマで生まれ育っていたら・・・と考えることによって頭は柔軟になり、先人が考えたことのなかった新しい空間に行くことができる。
つまり「What if ?」と考える練習を何回も何回も繰り返すことによって無から有を生む構想力が身につくのだ。
ここでさらにAIを活用すれば、能力レベルごとの細やかな学習も容易になるだろう。
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個人が企業を強くする
大前研一 著
小学館
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「りんごかもしれない」というブロンズ新社の絵本は、「もしかしたらこうなのかもしれない」という想像力と子どもの興味を引き出してくれるようで、わが子の寝かしつける際、かなりの頻度で選んで持ってきます。
ランドセルは赤か黒、ツーブロックが流行ればみんなツーブロック、家には黒電話、学校の問題も正解が一つだった時代は過ぎ去りました。
「もし・・・だったらどうするか?」という問いかけは、これからの時代には欠かせない考え方です。
AI(人工知能)やテクノロジーの進展により、誰にでもできる作業や仕事は、テクノロジーに取って替わられる可能性が高くなります。
「誰にでもできる能力」ではなく、「あなたにしかできない能力」を求められる時代に突入するのです。
そのとき求められるのが、「What if ?」と考える練習をしてきた構想力や想像力の豊かな人材でしょう。
普段している仕事も、言われたことをただやるのではなく、
「もし○○だったらどうするか?」「どんなことをしたら喜ぶか?」「もしかしたら〇〇かもしれないな」
と考えながらすることによって、何倍にも何十倍にも自分たちのしていることの価値を高めることが出来ます。
何も考えずにやるのは作業です。
それなら機械やコンピューターで済んでしまうという時代が迫っている。
先日、自動運転車のテスト走行中に事故を起こしたウーバーですが、だからといってこの流れが止まることはないでしょうし、人が運転していても事故は一定確率で起きてしまうのも現実です。
子どもの頃、電話を持ち歩けるなんて思ってもみなかったけど現実になり、携帯電話がスマホに変わり、スマホが喋りだしサポートしてくれて、顔認証でロックが解除されるなんて、僕が子どもの頃には誰一人信じなかったでしょう。
江戸時代(150年前)の人がもしスマホやドローンや自動運転車を見たらどうするでしょう?
おそらく「妖怪め~!」といって斬られます(笑)
しかし、それほどの進化を遂げていることも事実です。
和菓子の老舗“虎屋”さんは、約500年続いています。
その“虎屋”さんは、
「変えるものと変えてはいけないものをハッキリさせてきたことが、
虎屋が500年ちかくも続いてきた大きな要因」
と語ります。
変えてはいけないものとは?
「お客様への感謝の心」
では逆に変えるものとは?
「味は変えてしかるべきだと考えている」
味は、時代の変化に対応し、変えているそうです。
500年続いている虎屋さんをもってして、変え続けているのです。
進化論のダーウィンはこう言います。
「最後まで生き残る者というのは、必ずしも最も強い者ではない。
変わりゆく環境に最も適応できる者こそ、最後まで生き残るのである」
恐竜も、ローマ帝国も、江戸幕府も、変化に対応できなかったものは滅んでいます。
【唯一生き残るのは変化できる者】
「What if ?」と考えるクセをつけていきたいですね♪