ずっと若いころ、ある人に、
「あなたは悲しみに出会うことで成長する」と言われた。
それはまだ若い私にとって呪いのように聞こえたけれど、
今思うと、確かに、私にはどこか“もの悲しさ”に惹かれるところがあった。
景色でも、人でも、歌でも、映画でも。
でも、それは一歩を間違うと危ういことで、
だから、今、“もの悲しさ”とは縁遠い雰囲気の人と暮らしているのかもしれない。
最近、あまり一人で集中する時間がないので、少し忘れていたけれど、
しんと静まり返った部屋の中で、窓の向こうから聞こえてくる夏の音に、
孤独を求めていた夏の日々を思い出した。
一人で電車を乗り継いで、終点からまたさらに乗り継いで、
どこか私の知らない人たちが暮らす街に入り込んで、
じっと世界を観察していたり、へたくそなフィルムの1眼レフで好きなものを切り取ったりしていた。
そういうときの、街からの疎外感や孤独感が好きだった。
そこで好きな小説を何度も何度も擦り切れる(本当に切れたのをつないで)まで読んでいた。
愚かで、浅はかで、希望に満ちた若いあの日々。
すごく懐かしくて、何も変わっていないようで、でも、確実に、あの頃とは違う自分もいる。
人は、自分を生きる。
その過程で、自分でも把握できない感情や思想を抱えて、もがいたりする。
その中で、残ってきたものが、自分らしさなのだろうか。
そんな自分を認めて、一緒にいつづけてくれる人が、友達や恋人がいることが奇跡のように思える。
こんなに面倒くさい自分をずっと好きでいてくれるなんて、胸がつまる。
あの時、孤独に浸っていた自分に、風になって教えてあげたい。
「大丈夫だよ。しょうもない自分でも、ずっと好きでいてくれる人がいるよ」って。
もしかすると、この声は、あの頃の自分にも聞こえていたのかもしれない。
だって、あの頃から、私が人生の宝物だと思っているものは変わっていない。
あの頃から、気づいていたんだ。
家族、友達、恋人、それが私の宝物であること。
ここ最近、少し性格が卑屈というか悪い自分に偏っていた気がする。
それをどうにかできずにもいた。
こういうことを思い出されば、また少しはましになれるかもしれない。
少なからず自分を好きでいてくれる人に感謝したい。
それから、私はかなり、みんなが好きだ。
