あの夏の気配 | 作家 坂井あおのブログ

作家 坂井あおのブログ

    絶えず移動していく僕ら
      止まれない私たち

小説・シナリオ(ドラマ、映画、CM)・写真詩集作家、坂井あおの日々浮かんでは記憶の海に消えゆく思いを気ままに綴るブログです。

ずっと若いころ、ある人に、

「あなたは悲しみに出会うことで成長する」と言われた。


それはまだ若い私にとって呪いのように聞こえたけれど、

今思うと、確かに、私にはどこか“もの悲しさ”に惹かれるところがあった。


景色でも、人でも、歌でも、映画でも。


でも、それは一歩を間違うと危ういことで、

だから、今、“もの悲しさ”とは縁遠い雰囲気の人と暮らしているのかもしれない。



最近、あまり一人で集中する時間がないので、少し忘れていたけれど、

しんと静まり返った部屋の中で、窓の向こうから聞こえてくる夏の音に、

孤独を求めていた夏の日々を思い出した。


一人で電車を乗り継いで、終点からまたさらに乗り継いで、

どこか私の知らない人たちが暮らす街に入り込んで、

じっと世界を観察していたり、へたくそなフィルムの1眼レフで好きなものを切り取ったりしていた。



そういうときの、街からの疎外感や孤独感が好きだった。

そこで好きな小説を何度も何度も擦り切れる(本当に切れたのをつないで)まで読んでいた。



愚かで、浅はかで、希望に満ちた若いあの日々。


すごく懐かしくて、何も変わっていないようで、でも、確実に、あの頃とは違う自分もいる。



人は、自分を生きる。

その過程で、自分でも把握できない感情や思想を抱えて、もがいたりする。

その中で、残ってきたものが、自分らしさなのだろうか。


そんな自分を認めて、一緒にいつづけてくれる人が、友達や恋人がいることが奇跡のように思える。

こんなに面倒くさい自分をずっと好きでいてくれるなんて、胸がつまる。



あの時、孤独に浸っていた自分に、風になって教えてあげたい。


「大丈夫だよ。しょうもない自分でも、ずっと好きでいてくれる人がいるよ」って。

もしかすると、この声は、あの頃の自分にも聞こえていたのかもしれない。



だって、あの頃から、私が人生の宝物だと思っているものは変わっていない。

あの頃から、気づいていたんだ。


家族、友達、恋人、それが私の宝物であること。




ここ最近、少し性格が卑屈というか悪い自分に偏っていた気がする。

それをどうにかできずにもいた。


こういうことを思い出されば、また少しはましになれるかもしれない。

少なからず自分を好きでいてくれる人に感謝したい。


それから、私はかなり、みんなが好きだ。