呉下の凡愚の住処 -153ページ目

呉下の凡愚の住処

春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
現在はあまり更新していませんが、
何も持っていなかった過去の自分が想定読者でした。
詳細は「プロフィール情報を詳しくみる」をご覧ください。

鄂州を見て回った日のことを書きますね!


鄂州に行くのは2年ぶり(たぶん)2回目。
三国時代の武昌が現代の鄂州で、現代の武昌は武漢市の区のひとつ。
岳飛が守ったのは現代の武昌らしいですよ。
黄鶴楼にめちゃくちゃでかい岳飛の像があるのでそういうことなんでしょうね。
岳飛のことはよく知らないくせに大好きです。

で、この日(2日目)は鄂州。
孫呉の副都があったところです。
私、楚の都の荊州では
「ここに屈建や子西や伍子胥や子玉や子文など数多の楚の偉人が……!」
とかって大興奮できるんですが、今回鄂州では大した感慨がわきませんでした。

これ、私の中では孫呉は自分が今生きてる現在の歴史だと思ってて、
“昔は武昌があった”とかいう感覚が理解できないからなんでしょうね。
現実を受け入れることができていない——と人は言うかもしれないけれど、
今もまだ孫呉があると勘違いすることによって、
自分も孫呉に生きてる気持ちになれて、つらい日々でも楽しくなれる。
宋が滅ぼされたとき、元に仕官しなかった偉人たちがたくさんいましたよね。
私はあの皆さんと同じ存在なんです……忠義の士なんです……

なんの話だったっけ? 鄂州の話ですね!
前日から鄂州に泊まってました。
ホテルの入り口が、道路に面した入り口ではなく、
奥の奥の奥の奥の奥の100mほど離れた場所だったから困った。
私が普段泊まるようなホテルならともかく、高級ホテルであれはなんなんだ?

朝食の席では尖閣諸島や南京などの敏感な話ばかりしたがる青年に絡まれる。
鄂州案内するよ! と言われたけど、もちろんお断りしました。
外国語専門の大学生だって言ってましたが、
初対面の相手に二言目から政治の話を振ると国際社会では出世できないぞ……
同じ机にいたおっさんは
「中国はもうだめだ! アメリカに行こう!!」
という言葉を残して去っていきました。

気を取り直して、
◆鳳凰広場の鳳凰台
 →周瑜と魯粛と張昭が軍議をしていたとき、鳳凰の鳴き声が聞こえたという場所
◆呉王城遺跡
 →石碑がある
◆武昌門
 →でかい楼閣。新築。登れる
◆鄂州メモリアルレリーフ
◆孫呉メモリアルレリーフ
◆孫権広場
 →めちゃくちゃでかい孫権の像がある。高さ5~8mぐらい?(感覚ガバガバ)
◆呉王散花灘
 →孫権が兵を弔うために献花した場所
◆呉王釣魚台
 →孫権が張昭に酒を捨てられた場所?
◆鄂州博物館
◆西山(呉王避暑宮に行ける時間はなく敷地に入っただけ)
などを見て回りました!
鳳凰台のメンツはいつ見ても張昭いびりかな? と思う。

前回行けなかったのは鄂州博物館だけです。
博物館には図録だけ買わせてもらうつもりで入ったのですが、
「三国時代の展示だけ見ていいですか!?」
とおっしゃっていただき、もちろん快諾!
同行の方はこの文物オタクを展示室に入れてしまったことに後悔しただろう……
私は文物うんちくおじさんと化してしまったのであった……
そして西山を登った先の呉王避暑宮に行く時間もなくなり(……)、
ホテル近くまで戻ってごはんを食べました。

鄂州であった大きなことはこれぐらいかな。
鳳凰台の鄂州史表や鄂州メモリアルレリーフに
楚の話が書いてあって感動しました。もっと書いてほしい。
メモリアルレリーフについて二人でいろいろつっこめて、本当に楽しかった……
それから陽新行きの硬座に乗って、おいしいごはんを食べてこの日は終了!
です。