呉下の凡愚の住処 -145ページ目

呉下の凡愚の住処

春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
現在はあまり更新していませんが、
何も持っていなかった過去の自分が想定読者でした。
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さっきの日記に書いたとおり、前回の旅行中に書いていた記事です。
前回帰国と同時に病院→総合病院に行くことになった(旅行は関係ない)
こともあり、テンション高く書いていたのにまったく投稿できませんでした。
本当は飛行機搭乗前に投稿準備終わってたのに、Amebaアプリが完全に壊れてて
再インストールするまで何もかも認識されませんでした……使いにくいな……

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今回は鄂州博物館を見るつもりはなかったのですが、
思いがけず見せていただけることになって本当にありがとうございました……

なんと!!
思いがけず見られることになった三国展示のコーナーで、
ずっと昔(推定6~7年前)から見たかった、
後漢の人面ニコニコ瓦当を見られました!!

たぶん他のどこかの博物館にも展示されてるんじゃないかと思うんですけど。
展示数は少ないけど、この温かくて優しい顔の瓦当を見られてよかった……
初めて写真を見たときからずっと見たかったんですよね……
感動して涙が出てきたし今も写真を見て泣いてる。

孫呉の人たちも、こういう顔を「いいなー」と思って
作ったんだろうなと思うと……
当時の視覚的情報なんて歴史書からは想像することしかできないけど、
あったかい顔の感覚は今と変わらないんだな、ってことをこの瓦は教えてくれる。
私が6~7年前に見た写真はもっと満面のニコニコ顔だったので、
たぶんこの瓦もその仲間で間違いないと思うんですけど……
どこに行けば見られるのだろうか……


それからとても省スペースな東呉人物紹介のコーナーがありました。
壁にしまえて、見たい人は引き出して見るデザインだったんですが、
最初につかんで引っ張ったのが魯子敬様だったので
めちゃくちゃびっくりしてしまった、人物紹介パネルだとも思ってなかったし
隣のも引き出したら呂蒙殿だったからドッキリかと思って本当にびっくりした。
まあ本当にドッキリなら全員楚の令尹で固めてくるはずだから違いますね。
最初に引き出した先に“子嚢”とか書いてあったら驚きすぎて尻餅ついたと思う。

これ、何が驚いたって、紹介の中に
陳化
がいました。
陳化さんってご存知ですか? 孫呉の太常(確か)になった人です。
たぶん、陸口とか州陵などの地名並みに
あまり知られていない人なんじゃないかなと思う。もちろん列伝はない。
私も孫呉職官表を自作してなかったら覚えてなかってたと思います。
太常は太字で作ったから覚えてるんですよね……

▲陳化さん

初代丞相の孫邵さん(列伝なし)もちゃんとパネルになってたし、
私の大好きな諸葛元遜もパネルになってたし、
かと思えば黄蓋や甘寧や凌統などの前線系はいないし、
本当に完全に孫呉マニア向けの展示だった。
「たぶんこんな人選うれしいの私ぐらいですよ!!(興奮)」
って言ったら納得されました。
孫呉人物パネルに初代丞相の孫邵さんを入れるのは至極当然のことだし
他の場所でもどんどん紹介していただくべきだと思うんですけど、
陳化さんはほんとに驚いたな。

▲諸葛元遜♡

▲孫邵

荊州博物館も、もし今後敷地を広げることがあったら
楚王と令尹の人物パネルを作ってほしい。
荊州はもっと、関羽だけではなく楚も推してほしい。よろしくお願いします。

鄂州博物館のメインは本当は魏晋南北朝時代の銅鏡なんですけど、
今回は銅鏡のフロアには行かずに終了。
でも銅鏡の図録は買えたので、
予習をして次回鄂州に行ったときに一個一個様々な角度から見たいと思う。


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途中で終わってました。どうせ
「楚は歴史が長いから王も重要人物も入りきらない、
 20人だけ選ばれるとしたら誰なのかな!!」
とか書くつもりだったんでしょう。
この孫呉の展示もなかなかですけど、
楚の人物20人の展示は私と研究者しか見なさそう。