諸葛恪を愛する者の間では有名な話ですが……。
彼は《建康実録》では丞相になっています。
東興の戦い(252年)で大きな戦果を上げた諸葛恪は
荊州・揚州の牧を任命されるなどいろいろ昇進するのですが
建康実録ではこのとき丞相にもなっています。

諸葛恪は丞相になれたんだ!!
建康実録は「wikisource 建康実録」で検索すると読めますのでぜひ。
……しかし、建康実録の本文は正直ほとんど正史と同じなのに、
どうしてここでわざわざ丞相という重い二文字を加えてくれたのか謎です。
編纂者の中に諸葛恪のファンがいたとか?そりゃ一人ぐらいいるよね。
そもそも韋昭《呉書》の編纂を始めさせたのは諸葛恪ですからね。
自分が編纂させた歴史書で「裏切り者列伝」に立伝される
かわいそうな諸葛恪……。
個人的には実際に丞相にもなっていたけど
うっかり記録から消されたのかなと思っています。
なぜ“うっかり”なのかと言うと、
孫峻も孫綝も人として大いに問題がある書かれ方をしているのに
二人が丞相になったという記録は消されていないからです。
一体諸葛恪がどんな悪いことをしたって言うんですかね……
思い当たる節しかありません……。
ところで東興って現在の安徽省馬鞍山市の含山県なんですね。
もっと北だと思ってました。
馬鞍山は南京(建業)から一時間の距離。
朱然墓・李白墓・項羽の祠などがあり私には大変縁深い市です。
我が家の神棚にも馬鞍山のおみやげが数点。
さらに東興の戦いがあった含山県は
伍子胥が逃げた際の昭関(現在は観光地)がある場所だとか。
そんなの絶対行くしかない。
悲しいほどに行きたい場所が増えていく……
何はともあれ私の大好きな諸葛元遜をよろしくお願いいたします。
孫登様がご存命だったなら……ということを考えると必ず涙が出る。

