以指喻指之非指,不若以非指喻指之非指也;以馬喻馬之非馬,不若以非馬喻馬之非馬也。天地,一指也;萬物,一馬也。難しくて二回読み返しました。
指を以て指の指に非ざるを喩(諭)すは、指に非ざるものを以て指の指に非ざるを喩すには若(し)かざるなり。馬を以て馬の馬に非ざるを喩すは、馬に非ざるものを以て馬の馬に非ざるを喩すには若かざるなり。天地も一指なり。万物も一馬なり。
指を使って指が概念としての指ではないことを証明するには、
指ではないものを使って指が概念としての指ではないことを証明することに及ばない。
馬を使って馬が概念としての馬ではないことを証明するには、
馬ではないものを使って馬が概念としての馬ではないことを証明することに及ばない。
「指が指である」とか「馬が馬である」
という概念にとらわれたままでは真理は見えてこない。
道の真理の前では天地も一つの指で、万物も一頭の馬である。
その言わんとしていることはとても紀元前に書かれた書とは思えず、
読んでて興奮で息が詰まりそうになります。
荘子って豊富な寓話集でもあるし正真正銘の哲学書だったんですね……
韓非子も説話集ですが、その説話に対して
「世間一般の評価」と「韓非自身の評価」が載っていて、
ああこれは法家の本なんだなあと思わされたことを思い出します。
「けっきょく世の中の物はすべて一つの同じものなんじゃないか?」
という主張は哲学界ではよく見かける内容ですが、
戦国時代に書かれた本にこんな内容が載っているなんて
感動と興奮で床を転がってしまいますね……
(後世の人の手によって内容が追加されてたり編集されてるに決まってますが
後世って言っても紀元後数百年程度の間の話だろ?
と思うと、古代中国の悠久の歴史を感じずにはいられないのである……)