すごく立派です。
*画像をクリックすると大きく表示されます。
ぜひ拡大してあげてください!
この碑↑には
魯粛(171-217)は字を子敬といい、安徽省定遠の人で、東呉の太傅であった。……といったことが書かれてます。
後漢の建安十九年(214年)に孫権の命を受け、兵を率いて巴丘に駐屯。
洞庭湖で水軍の調練をし、西門にある城に閲軍楼を築いた
(これが現在の岳陽楼の前身となった)。建安二十二年にこの地で卒した。
墓は清の光緒十五年(1889年)に修築されている。
1956年に省級文物保護単位に登録され、1984年に再度修築された。
保護範囲:お墓およびお墓の直径から十メートル四方
魯粛は“太傅”という役職には就いたことがないはずですが
孫権様をすごい勢いで補佐してたので立場上は太傅でもいいかもしれません。
頂上のこの建物↑は細部のデザインが凝っていて雰囲気があります。
古さは分からないけど、真新しくはない感じ。
いちばん上の部分の高さは地上から8メートル、
お墓の直径は32メートル……だそうです。
(↑大きさは鲁肃吧に書いてありました。谢谢同志们!)
敷地内には小さな小屋↓があって
中には魯粛の像↑が祀られています。
管理人さんによってお線香が上げられており、大事にされている様子です。
顔は中国でよくあるハリボt(……)という感じですが、
鎧姿の魯粛というのはすごく貴重です。
ていうか大事にされてる像をハリボtとか言うなよ!! >自分
一緒に写真撮らせていただきましたすみません……
あくまで私が行った2012年12月の情報ですが、
このお墓は観光地ではなくご一家の所有物という雰囲気が強かったです。
敷地内にお家や畑があったし。
着いたら門を閉められ(最初は開いてた)、交渉にもドア叩きにも応じてもらえず
最終的に塀をよじ登るハメになりました。
途中、通りかかった近所のおじさん2人が私の話を聞いてくれまして
「中を見せてもらえることは分かってるんです、だから来たんです」と言うたら
「前は見られたけど、今は彼の所有物だから彼がダメって言ったら入れないよ」
と言われました……そそそそうなのか??
→後に中国のサイトで調べたところ
2010年11月には既に人様の住居になっていたそうです……
そのレポートを書いた人も長い間待ち続けてようやく入れてもらったらしい
塀をよじ登って中に入るとさすがに門を開けてくれました。
こうして書くと本気で申し訳ないことをしたと感じる……
お墓に向かって中国式拝礼(←土下座的な)をしたり超熱心なお墓見物をした結果、
我々が本気で魯粛目当てで来た奴らということが伝わったようです。
そして我々の熱意を憎からず思ってくださったようです。
無理やり塀を登って入場した手前
管理人さんに話しかけるのは申し訳ないかなあと感じていたのですが、
敷地内の小屋にある像について
「あれって魯粛ですか?」と質問した同学様(女神)に対し
「魯粛だよ」と答えてくれた管理人様は温かく素敵な笑顔をされていました……
管理人様は方言がきつく、話はほとんど分からなかったのですが
おそらく「一見さんお断り」的な方針なんだと思います。
金目当てなどではなく本当に魯子敬様を大事にされていることがうかがわれ、
日本の魯粛ファンとしてうれしい気持ちになりました。
そんなわけなので入場料とか要求されなかったのですが、
感謝と謝罪の気持ちを込めて20元お渡ししてきました。
「魯粛をこんなに大事に祀ってくれててうれしいです」と言いたかったけど
咄嗟に作文できなかったので、
「この墓を見に武漢から来たから(お金を)受け取ってほしい」と告げました。
お金目当てじゃない人にお金を渡すのは逆に申し訳ない気もしますが、
もしも本当に今は公開していないのだとすれば
勝手に人の庭に上がりこんだわけで、タダ見して帰るほうが気分が悪く……
鎮江と武漢と岳陽の魯粛墓を比べてみると
ここがいちばんいい墓だったように思います。
(貴州省にも「魯粛墓」という場所があるが縁がなくて行けない)
そんなわけでスムーズに入れるかどうかは運次第ですが
アクセス方法
岳陽楼行きのバスを降り、岳陽楼を左手に進むと
↑三五一七路という道があるので右折します。
そのまままっすぐ進むと
↑圣华织带厂(聖華リボン工場)という看板があるので、ここを右折。
あとはまっすぐ行けばいいだけなのですぐ見つかると思います。
迷ったらこのあたりの方に尋ねればOKかと。
3回訊いて皆さんご存知でしたので…… <聞きすぎ
鎧姿の魯粛というのはすごく貴重です。
ていうか大事にされてる像をハリボtとか言うなよ!! >自分
一緒に写真撮らせていただきましたすみません……
あくまで私が行った2012年12月の情報ですが、
このお墓は観光地ではなくご一家の所有物という雰囲気が強か
敷地内にお家や畑があったし。
着いたら門を閉められ(最初は開いてた)、交渉にもドア叩きにも応じてもらえず
最終的に塀をよじ登るハメになりました。
途中、通りかかった近所のおじさん2人が私の話を聞いてくれまして
「中を見せてもらえることは分かってるんです、だから来たんです」と言うたら
「前は見られたけど、今は彼の所有物だから彼がダメって言ったら入れないよ」
と言われました……そそそそうなのか??
→後に中国のサイトで調べたところ
2010年11月には既に人様の住居になっていたそうです……
そのレポートを書いた人も長い間待ち続けてようやく入れてもらったらしい
塀をよじ登って中に入るとさすがに門を開けてくれました。
こうして書くと本気で申し訳ないことをしたと感じる……
お墓に向かって中国式拝礼(←土下座的な)
我々が本気で魯粛目当てで来た奴らということが伝わったようです
そして我々の熱意を憎からず思ってくださったようです。
無理やり塀を登って入場した手前
管理人さんに話しかけるのは申し訳ないかなあと感じていたのです
敷地内の小屋にある像について
「あれって魯粛ですか?」と質問した同学様(女神)に対し
「魯粛だよ」
管理人様は方言がきつく、話はほとんど分からなかったのですが
おそらく「一見さんお断り」的な方針なんだと思います。
金目当てなどではなく本当に魯子敬様を大事にされていることがう
日本の魯粛ファン
そんなわけなので入場料とか要求されなかったのですが、
感謝と謝罪の気持ちを込めて20元お渡ししてきました。
「魯粛をこんなに大事に祀ってくれててうれしいです」
咄嗟に作文できなかったので、
「この墓を見に武漢から来たから(お金を)受け取ってほしい」
お金目当てじゃない人にお金を渡すのは逆に申し訳ない気もしますが、
もしも本当に今は公開していないのだとすれば
勝手に人の庭に上がりこんだわけで、タダ見して帰るほうが気分が悪く……
鎮江と武漢と岳陽の魯粛墓を比べてみると
ここがいちばんいい墓だったように思います。
(貴州省にも「魯粛墓」という場所があるが縁がなくて行けない)
そんなわけでスムーズに入れるかどうかは運次第ですが
アクセス方法
岳陽楼行きのバスを降り、岳陽楼を左手に進むと
↑三五一七路という道があるので右折します。
そのまままっすぐ進むと
↑圣华织带厂(聖華リボン工場)という看板があるので、ここを右折。
あとはまっすぐ行けばいいだけなのですぐ見つかると思います。
迷ったらこのあたりの方に尋ねればOKかと。
3回訊いて皆さんご存知でしたので…… <聞きすぎ
















