中秋節の由来など | 呉下の凡愚の住処

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まだタイミング的に許されると思うので中秋節ネタを……

中秋節は中国伝統節句のひとつで、旧暦8月15日のことです。
8月は秋の二ヶ月目で、かつての名を仲秋と呼ばれていました。
秋の中間・8月の中間、ということで、
民間では「中秋」と呼ばれるようになったようです。
他に「秋夕」「八月節」「八月半」「月夕」「月節」などという呼称もあります。
またこの日は月が満月になるため、一家団欒の象徴として
「団円節」と呼ばれることもあります。


「中秋」という言葉は『周礼』に見えるのが最初です(何箇所も出てくる)。
古代中国の暦では、四季は一季が3ヶ月で、それぞれ
一月目:孟月 二月目:仲月 三月目:季月
と呼ばれていました(↑字と一緒ですね)。

唐の初めには、中秋節は固定の節句になっていたようです。
『新唐書』巻十五 志第五・礼楽五 には
其中春、中秋釋奠于文宣王、武成王,……

開元十九年,始置太公尚父廟,以留侯張良配。中春、中秋上戊祭之,牲、樂之制如文宣。……
などという文が見られます。
綺麗に訳せなくて申し訳ないんですが、
釋奠=儀礼、文宜王=孔子、武成王=太公望、開元十九年=731年
です。だいたい分かっていただけるかと……
つまり当時は古代帝王を祭る節句が「中秋節」だったんですね。

中秋節が盛んに行われるようになったのは宋代で、
明清代には元旦と並ぶ主要な節句になっていたようです。

中秋節の起源は大まかに3つ考えられ、
・古代の「月」信仰
・月明かりの下で歌舞を楽しみ、配偶者を見つける習俗
・秋の訪れを土地神に奉る習俗

と言われているそうです。(二番目とか合コンじゃないか……)

今日もネタ提供は百度百科です。


今年の中秋節の日は、日本では台風が来て大変だったそうですね。
中国・武漢は比較的晴れていたので月が綺麗に見えました。
ぜひクリックで拡大してくださいね!

呉下の凡愚の住処-中秋節月

呉下の凡愚の住処-中秋節月

呉下の凡愚の住処-中秋節月

なかなか綺麗に撮れました!

月餅もいただいたので写真載せときます。

呉下の凡愚の住処-月餅

呉下の凡愚の住処-月餅

呉下の凡愚の住処-月餅
▲ココナッツ味でした

甘くて非常においしかったです。
月餅は甘すぎて嫌い、と話す人が多いように思いましたが(中国でも)
私はスーパー甘党なので月餅大好きです。
一年に一度しか食べないなんてもったいなさすぎる。