孫呉県侯表/交州、豫州、青州 | 呉下の凡愚の住処

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春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
現在はあまり更新していませんが、
何も持っていなかった過去の自分が想定読者でした。
詳細は「プロフィール情報を詳しくみる」をご覧ください。

年代順の孫呉爵位表が見づらくて腹立たしかったので
郡別のものを作りました。(【自作の表】 を並び替えただけです)

揚州(丹陽、呉)

◆ほか揚州(会稽、豫章、廬江、廬陵、九江)、荊州(南郡、武陵、長沙、江夏)

■交州

◆南海郡(1県、のべ2名)
内容 受封者 / 年 備考
番禺侯(南海郡) 呂岱(定公)
黄武五年(226)以降
呂凱 呂岱の子(呂岱伝)
太平元年(256)

◆蒼梧郡(1県、1名)
内容 受封者 / 年 備考
広信侯(蒼梧郡) 歩騭(子山)


【一言】
歩騭が侯に封じられたのは
建安二十一~二十四年の間ではないかと推測するが、早い。
賀斉の例と同じく、孫権自身が侯に封じられていない時期では?

■豫州
◆譙国(1県、1名)
内容 受封者 / 年 備考
譙侯(譙国) 文欽(仲若) 魏書毋丘倹伝
五鳳二年(255)
【一言】
文欽は諸葛誕とは異なり孫呉の土を踏んでいる。譙県は出身地。
譙って沛国から分割されてたんですね、知らなかった。

■青州

◆北海国(1県、のべ2名)
内容 受封者 / 年 備考
高密侯(北海国) 滕胤(承嗣)
五鳳三年(256)以前
滕牧【滕密】 孫皓滕夫人伝
元興元年(264)
【一言】
北海国は滕氏の出身地。なぜ呉の領地に封じられなかったのかは謎。
分かる人教えてください。