■鳳雛庵
*画像をクリックすると大きく表示されます。
ぜひ拡大してあげてください!
よく分からない建造物がいっぱいある中を歩いていきます。
このあたりで家族連れのお父ちゃんに「この先って何があるの?」
(※聞かれた「この先」には何もないが看板が存在しない)
と聞かれたのですが、「何もないよ」が言えずに
「私中国語しゃべれないアルよ」としか言えませんでした……
笑顔で「それならしょうがない」って表情をしてくれて助かりました。
言われてることが分かるのに答え方が分からないのは辛すぎる。
この写真たちをご覧になればお分かりいただけると思うのですが、
めっちゃ緑あふれる自然の中にあります。
赤壁 in 大自然です。
通路はかなり新しめ。道ができる前はさぞかし不便だったことでしょう……
*鳳雛庵
龐統関連エリアに到着!
これが鳳雛庵だ!!
……すいません、鳳雛庵そのものの写真、これしかないです……
中には龐統先生の像が鎮座ましましていました。
(塑像の写真撮影は遠慮しました)
鳳雛庵の歴史は古く、現在の庵は清の道光二十六年(1846)に
再建されたものだそうです。
龐統が赤壁の戦いの前にここで兵法書を読み漁っていたところ
偶然蒋幹に会ったためそのまま一緒に曹操陣営に向かい、
偽の投降をして“連環の計”を献策したそうな。
木があります。“千年古藤”だそうです。
石には説明がないけど、龐統が植えたらしい。
千年古藤は木が連なって生えているので、別名“連環古藤”ともいう。お次は“千年銀杏”。
こんな言い伝えがある。「三国時代の知名の士・龐統は、曹操軍の侵攻によって
江南81州の百姓がどうなるのかと考えると、心配で夜も眠れなかった。
……が、この連環古藤から発想を得て“連環の計”を思いつき、
赤壁の戦いの勝利への道を作ったのである」
龐統が手ずから植えたかどうかはともかく、
本当に大きくてとてもじゃないけど全体が撮れません。これは素敵ですね。
ここら一帯は金鸞山という名前らしいです。確かに山だ。
↑日本語の説明もありますが、読みづらいと思うので
大事な部分を抜粋&鳳雛庵にあった説明をこっちに追加。
赤壁古戦場は“赤壁山”、“南屏山”、“金鸞山”から成っている。古井戸は時間短縮のため接近してません……(次頁に遠景あり)
このあたりは“金鸞山”といい、かつての名を“西山”といった。
赤壁の戦いの前、龐統はここで隠居しており、昼は野良仕事をしたり、
私塾を建てて貧しい子供に教育を施し、夜は兵法書を読んだ。
赤壁の戦いの後は劉備に従ったが、不幸にも落鳳坡で流れ矢に倒れた。
龐統は死後に金鸞と化して西山へ飛び立ち、西山に止まったと伝えられている。
後世の人は龐統を偲んで“西山”を“金鸞山”と改名し、
龐統が住んでいたところを再建して、“鳳雛庵”とした。
庵の前には龐統が建てた古井戸があり、
山の前には“赤壁古風”という鳥居がある。
“赤壁古風”はこちら。
このあたりは『レッドクリフ』公開前から観光地だったようで、
赤壁古風さんもくたびれてます。
そこまで古いものではないと思いますがね……
「中央が孫権」とはかなり理解のある建造物ではないでしょうか。
つづく