武漢旅行記・4日目「赤壁」(3/未定) | 呉下の凡愚の住処

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春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
現在はあまり更新していませんが、
何も持っていなかった過去の自分が想定読者でした。
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4日目・赤壁編その3です。
■鳳雛庵

画像をクリックすると大きく表示されます。
 ぜひ拡大してあげてください!


よく分からない建造物がいっぱいある中を歩いていきます。

呉下の凡愚の住処-赤壁

このあたりで家族連れのお父ちゃんに「この先って何があるの?」
  (聞かれた「この先」には何もないが看板が存在しない
と聞かれたのですが、「何もないよ」が言えずに
「私中国語しゃべれないアルよ」としか言えませんでした……
笑顔で「それならしょうがない」って表情をしてくれて助かりました。
言われてることが分かるのに答え方が分からないのは辛すぎる。

呉下の凡愚の住処-赤壁

呉下の凡愚の住処-赤壁

この写真たちをご覧になればお分かりいただけると思うのですが、
めっちゃ緑あふれる自然の中にあります。
赤壁 in 大自然です。
通路はかなり新しめ。道ができる前はさぞかし不便だったことでしょう……

呉下の凡愚の住処-赤壁
▲この道を降りてきました

*鳳雛庵

龐統関連エリアに到着!

呉下の凡愚の住処-赤壁鳳雛庵
▲龐統先生かしら……

呉下の凡愚の住処-赤壁鳳雛庵

これが鳳雛庵だ!!

呉下の凡愚の住処-赤壁鳳雛庵

呉下の凡愚の住処-赤壁鳳雛庵

呉下の凡愚の住処-赤壁鳳雛庵

……すいません、鳳雛庵そのものの写真、これしかないです……
中には龐統先生の像が鎮座ましましていました。
(塑像の写真撮影は遠慮しました)
鳳雛庵の歴史は古く、現在の庵は清の道光二十六年(1846)
再建されたものだそうです。

龐統が赤壁の戦いの前にここで兵法書を読み漁っていたところ
偶然蒋幹に会ったためそのまま一緒に曹操陣営に向かい、
偽の投降をして“連環の計”を献策したそうな。

呉下の凡愚の住処-赤壁鳳雛庵

呉下の凡愚の住処-赤壁鳳雛庵
▲かわいい

木があります。“千年古藤”だそうです。
石には説明がないけど、龐統が植えたらしい。

呉下の凡愚の住処-赤壁千年古藤

呉下の凡愚の住処-赤壁千年古藤
千年古藤は木が連なって生えているので、別名“連環古藤”ともいう。
こんな言い伝えがある。「三国時代の知名の士・龐統は、曹操軍の侵攻によって
江南81州の百姓がどうなるのかと考えると、心配で夜も眠れなかった。
……が、この連環古藤から発想を得て“連環の計”を思いつき、
赤壁の戦いの勝利への道を作ったのである」
お次は“千年銀杏”

呉下の凡愚の住処-赤壁千年銀杏

呉下の凡愚の住処-赤壁千年銀杏

呉下の凡愚の住処-赤壁千年銀杏
銀杏はまたの名を“白果”、“公孫樹”ともいう。
言い伝えによると、三国時代の知名の士・龐統が手ずから植えた木だという。
1800年あまりの歴史を持ち、木の全長は35mにもなる。
この木は岸から離れていたため、赤壁の戦いでも幸いにして戦禍を免れた。
銀杏は薬用、材料、食用、観賞用として親しまれ、木全体に価値がある。
国家の重点保護木。
龐統が手ずから植えたかどうかはともかく、
本当に大きくてとてもじゃないけど全体が撮れません。これは素敵ですね。

ここら一帯は金鸞山という名前らしいです。確かに山だ。

呉下の凡愚の住処-赤壁金鸞山

↑日本語の説明もありますが、読みづらいと思うので
大事な部分を抜粋&鳳雛庵にあった説明をこっちに追加。
赤壁古戦場は“赤壁山”“南屏山”“金鸞山”から成っている。
このあたりは“金鸞山”といい、かつての名を“西山”といった。
赤壁の戦いの前、龐統はここで隠居しており、昼は野良仕事をしたり、
私塾を建てて貧しい子供に教育を施し、夜は兵法書を読んだ。
赤壁の戦いの後は劉備に従ったが、不幸にも落鳳坡で流れ矢に倒れた。
龐統は死後に金鸞と化して西山へ飛び立ち、西山に止まったと伝えられている。
後世の人は龐統を偲んで“西山”を“金鸞山”と改名し、
龐統が住んでいたところを再建して、“鳳雛庵”とした。

庵の前には龐統が建てた古井戸があり、

山の前には“赤壁古風”という鳥居がある。
古井戸は時間短縮のため接近してません……(次頁に遠景あり)
“赤壁古風”はこちら。

呉下の凡愚の住処-赤壁古風
▲全景は後姿しか撮ってない……

呉下の凡愚の住処-赤壁古風
▲左から龐統、諸葛亮、孫権、周瑜、魯粛が
描かれているがほとんど見えない


呉下の凡愚の住処-赤壁古風

このあたりは『レッドクリフ』公開前から観光地だったようで、
赤壁古風さんもくたびれてます。
そこまで古いものではないと思いますがね……
「中央が孫権」とはかなり理解のある建造物ではないでしょうか。


つづく