武漢旅行記・4日目「赤壁」(1/未定) | 呉下の凡愚の住処

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春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
現在はあまり更新していませんが、
何も持っていなかった過去の自分が想定読者でした。
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書きかけですが赤壁の記事をアップします。ここで写真250枚撮ってます。
250枚。途中で電池が足りなくなってデジカメの電源が落ちたという……
どんだけ撮ってるんでしょうね。まあ博物館でも激写しまくりましたからね。

画像をクリックすると大きく表示されます。
 ぜひ拡大してあげてください!


■赤壁市内~神武台まで。

*赤壁市内

待っていてくれたお車で“武赤壁”へ向かいます。
実際の戦いがあったほうが“武赤壁”、賦に読まれたほうが“文赤壁”です。
運転手さんも赤壁へ行くのは初めてとのこと。
武漢から赤壁までは車で2時間半くらいです。
以下4枚は車の中から撮った写真。

呉下の凡愚の住処-武漢看板
▲ただの武漢の看板であった

呉下の凡愚の住処-赤壁入口
▲赤壁入口! 感動!

呉下の凡愚の住処-赤壁市内
▲赤壁市内。後ろに『臥龍賓館』という建物が見える

呉下の凡愚の住処-赤壁市内
▲赤壁市内。何やら立派な門がある

*入口

爆睡したり起きたり爆睡したりしながら赤壁古戦場に到着!

呉下の凡愚の住処-赤壁

呉下の凡愚の住処-赤壁
▲別々のサイズで無駄に2枚撮影

これがあの……! 感動もひとしおです。
まあ、感動している場合ではなかったのですがね。(理由は後述)

呉下の凡愚の住処-赤壁

呉下の凡愚の住処-赤壁

呉下の凡愚の住処-赤壁

呉下の凡愚の住処-赤壁

入場します! ちなみに入場料は150元(2000円弱)。太贵了です。

呉下の凡愚の住処-赤壁

*神武台

中に入ると、“神武台”という名の謎のモニュメントが置いてあります。
お前はいったい何なんだ……と、思いますよね? 私は思いました。

呉下の凡愚の住処-赤壁神武台

呉下の凡愚の住処-赤壁神武台

呉下の凡愚の住処-赤壁神武台

呉下の凡愚の住処-赤壁神武台

赤壁古戦場公式サイトによると
この“神武台”は『三国志』呉書・周瑜伝で周瑜が孫権に語った
「將軍以神武雄才」から名前をつけたそうです。 ←開戦をすすめる言葉
この威厳のある紋様は赤壁の戦に臨む江東の将たちをイメージしているらしい。
ええ……そんな事実を知ってしまうと急に愛しく思えてきた……(病気)
ここでは9時半と11時にお客さん歓迎イベントをやってるらしい。
武装した人たちが太鼓を叩いてくれるそうです。毎日やってるのかな?

裏の壁は気合いが入ってます。呉蜀同盟が表現されてます。
この壁だけで35枚写真撮ってました……(……)

呉下の凡愚の住処-赤壁神武台

呉下の凡愚の住処-赤壁神武台

呉下の凡愚の住処-赤壁神武台

字が読みづらいと思うので、この壁の細部は別の記事に書きます。
ちなみにこの壁、全体を撮ろうとするとすぐ後ろの街灯が邪魔して
絶対に綺麗に写らないようになっています。

呉下の凡愚の住処-赤壁神武台

呉下の凡愚の住処-赤壁神武台

素直に同じ画面におさまらないなんて
まさに呉と蜀の関係のようですね。(地雷)


つづく