最強武将伝 三国演義 第5話 | 呉下の凡愚の住処

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遅くなりましたがさいきょうぶしょうでん第五話見ました。
5話目、邦題『董卓の最期』です。
毎度毎度ろくなこと書いてないのに長すぎてすみません。


今回、これまでの話の中でいちばんよかった! とおもいます。
まあ演義に100%忠実だったかっていうとそうではないんですが、
(欲を言えば貂蝉が歌うシーンがほしかった……中国語でいいから……)
今までと同じアニメだとはおもえないほどていねいな作りでした(笑)




【Aパート】


貂蝉が董卓に舞を披露する場面から。
貂蝉ちゃんの踊りが超かわええー。曲も中華っぽくてよかったです。
このアニメはBGMがいいですね。虎牢関の戦いの曲もカッコよかったし。
踊りは微妙にカクカク動画だったけど貂蝉ちゃんの表情がよかったから許す。
董卓、デレデレすぎて貂蝉ちゃんのお酌してくれた酒をこぼす。
呂布と同じデレかたをしてしまう董卓(笑)


貂蝉はそのまま董卓にテイクアウトされ、
翌日、呂布が董卓の寝所に向かうと見事に朝チュン状態になっていた……(笑)
ここで董卓の冠の下に隠された髪形が判明!
「李粛の被髪姿」以上の誰得感!
向かって正面はハゲててつるつるで、蒼天董卓みたいだった。
でも蒼天董卓は男前なので、比べたらかわいそうですね。


その場を追い出された呂布のもとに「やっぱり和解しよう」ってことで
董卓から財宝が贈られてくるのですが、
これを蹴り飛ばす呂布がすごくカッコよかったです。
もう貂蝉にメロメロですね。



【Bパート】


鳳儀亭での名場面!

貂蝉が呂布をやんわりと説得しますが、

「自分は董卓とは親子の契りを結んでいるからあれを殺すことはできない」
と頑なに拒むんですよ。
本来このセリフは王允との話の中で出てくるものなのですが、

ここでも親子の間柄を主張する呂布(笑)。めっちゃ好漢に描かれてるなあ。


貂蝉が董卓に拉致(違)されます。
「私が愛しているのは董卓さまお一人だけ」とか、よく言えるよな……
策でもそんなこと言いたくねえー(笑)
董卓がね……ほんとうに気持ち悪いんですよ自分を見てるようで(……)
このアニメの董卓さんは歩くたびにふんふん言ってて、
すごく董卓らしいとおもいます。お顔の贅肉もすごいです。


郿塢に移る貂蝉を見て嘆息する(泣いてた)呂布を王允と李粛慰めます。
いや、なんでそこに李粛が。なんでそこに李粛が。
確かに李粛、もとの演義でも王允たちの味方ではあるみたいですが、
こんなにホイホイは出てこないよね。そいえば前回は連環の計も献策してたよね。


二人の熱い説得により、董卓を討つ心を決めた呂布は剣で机を真っ二つに……
って、ええ!!! 机まっぷたつにするんですか!
それ孫権の見せ場じゃないんですか!! えええ!?
ちなみに演義呂布は「帯刀を抜いて臂を刺し、出血を誓いと為」していた。
えええ……出血シーンならこれまでにもあったじゃないか……
血をもって誓いとなすことの何がダメだったんだろう。
なんかこれは……「孫権、開戦決意の際に机を切らないフラグ」なのかな(汗)


董卓、長安にお呼ばれしてゆく。(死亡フラグ)
それを聞いた貂蝉ちゃんは、「連環の計は成った」と悟ったのか、
覚悟を決めてすべての髪飾りを外します。切ない。
そして、董卓は呂布に討たれました。みんなやったね! おめでとう!
このときの王允がものすごくカッコよかった……もう見納めだよな……

董卓の死を暗示する童謡がなかったのは残念ですが、

文字で見ないと分かりづらいだろうから仕方ないでしょうね。


逆賊董卓を討って、大喜びで「今行くぞ貂蝉!」な呂布。
だが郿塢に着いてみると、貂蝉の姿はない。どこを探してもいない。
ふと机の上を見ると、呂布が初めて貂蝉に会ったときに渡した飾りが。
呂布は貂蝉が去ったことを悟るのだった……
「貂蝉!!!」て大声で叫ぶ呂布、痛ましすぎました。
ささきいさおさんが呂布を演じてくれてほんとによかった。


貂蝉ちゃんは舟でどこかへ向かってたんですが、
いちばん最後のカットでは舟に人が乗ってなかったので
入水自殺したのですかね……視聴者のご想像にお任せしますなのかも。



【本編に関係ないこと】


かつて、洛陽から逃げる少帝と陳留王を董卓が助けた場面に対して、
「なんで董卓はまだ諡号をもらってない劉弁を“少帝”って呼んどるんじゃ」
って突っ込んでたするどいお方がmixiのご友人さまにいらっしゃいまして。
『演義』原文でも少帝は諡号を貰う(≒死ぬ)前から“少帝”って
書かれていることを確認した、ってことがあったのですが。
(でも演義董卓は帝を「少帝」とは呼んでない。「今上(陛下)」って呼んでる)


それと同じように、『演義』にて、まだもらってないはずの名前で
呼ばれている人を発見しました。(他にもいっぱいあるのかも?)
「温侯」すなわち呂布殿のことです。
演義では華雄から既に温侯と呼ばれていました(笑)
正史では、董卓を討った功績で温侯に封じられてます。王允に。
(ちなみにその前は王允が董卓から温侯の爵を賜っている <『後漢書』王允伝)



***



三国志演義(原典の話です)ってほんとによくできてますね。
李儒が「貂蝉なんて呂布にくれてやりなさい」って董卓を説得するときに
楚荘王の「絶纓の会」のことを持ち出すなんて……
私は感動した。演義の類稀なる説得力に感動した。
演義ってええ話やんな……孫呉が出てこなければええ話やんな……(自虐)


演義は正史三国志の言葉をそのまま上手に使っていたりするんですが、
呉の場合その言葉が残念な方向に使われてたりして、
まさに「どうしてこうなった」状態……
その言葉をここで使うか、うおおお悔しいっておもいます。
書き方がほんとに上手なだけに、いっそむごいとすら感じます。
そりゃこれ読んだら呉が嫌いになるわな……悲しいわ……