孫呉の四征将軍 | 呉下の凡愚の住処

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春秋戦国の楚国、三国志の孫呉にすべてを捧げて生きています。
現在はあまり更新していませんが、
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先日、『真・三國無双 Online』にて
私のキャラが四征将軍に昇格したので(……)、
これを機に呉では誰がこの任についていたのか調べてみました。
自分でも「こんなん調べてどうすんねん……」とおもいました。

が、どうかすきにやらせてください。


四征将軍というのは征東将軍、征西将軍、征南将軍、征北将軍の総称……
らしいのですが、呉・蜀には征東将軍が置かれてないんですね。


「呉はこれ以上東に行けないからかなあ」
とかおもいましたが、
それでは蜀に征東将軍が置かれない理由にはならないですよね。
蜀の内政には疎すぎるのでヘタなこと言えません……(汗)



そんなわけで征西将軍から。


馬茂(九江太守・外部督)
 →魏から寝返って来たひと。
 赤烏八(245)年七月、孫権を暗殺しようと企てるも
 事前に事が発覚して三族皆殺しとなった。


留平(のち左将軍)
 →留賛の子。孫休、孫皓時代のひと。
 智略に優れ、施績と並ぶほどの名将。
 丁奉とは仲が悪かった(らしい)
 宝鼎元(266)年十二月、陸凱に孫皓廃立を持ちかけられるが断っている。
 ※↑もっともこの話は「ある人曰く~」と書かれているので信憑性は微妙
 鳳凰元(272)年、孫皓に毒殺されかけるが、解毒薬を飲み助かる。
 だがその約一月後に憂死。



征南将軍


成キョ(王+→據の右側)
 →『晋書』に記述あり。「成據」とも。
 晋軍の王濬により、太康元(280)年、二月庚申(3日)の日、
 西陵都督・鎮軍将軍(鎮南将軍とも)の留憲(劉憲とも)、
 西陵監の鄭広、宜都太守の虞忠らとともに殺された。


 超余談。
 虞忠は虞翻の第五子であり、
 晋が呉に攻め寄せたとき、陸晏、陸景とともに宜都城を堅守し、
 城が陥落したときに殺された。
 と『三国志』呉書虞忠伝の注にひく『会稽典録』には書かれている。


 また『三国志』呉書陸抗伝には
 「陸晏は二月壬戌(5日)の日に王濬の別働隊に殺され、
  陸景は癸亥(6日)の日に殺された」とある。
 いずれにせよ、王濬の軍が二月頭に
 破竹の勢いで呉軍を破ったのは間違いないようだ。



孫香(郎中)
 →孫孺の子。孫孺とは孫堅の再従弟(年下のまたいとこ)らしい。
 もとは孫堅の配下の将だったようだ。
 袁術が皇帝を僭称したとき、役人に任じられてしまった。
 孫策から「江東を征伐しようと思う」という旨の手紙を貰い
 孫策のもとに向かいたいと考えたが(呉景や孫賁はそうしている)
 孫香は遠方にいたため、間に合わなかったらしい。
 袁術配下として驅馳し、征南将軍を加官された。寿春で亡くなる。
 

 ※つまり、孫香は呉の征南将軍ではない。(……)



征北将軍


朱然(左大司馬・右軍師)
 →言わずと知れた孫呉の重臣。孫権の学友。
 呂蒙に後継ぎとして指名されたことはあまりにも有名(私の中で)。
 夷陵の戦いの戦功により征北将軍となり、永安侯にも封じられている。


陸抗(大司馬)
 →言わずと知れた孫呉の重臣。陸遜の息子。
 太平二(257)年、魏に反乱を起こした諸葛誕の救援のため寿春に赴く。
 そこでの戦功により征北将軍に任じられる。


陸凱(左丞相)
 →言わずと知れた陸家の一族の人間で、陸遜の息子の世代にあたる。
 孫休が即位したとき(258年)征北将軍に任命され、豫州牧も兼任。
 孫皓は自分に諫言する陸凱を快く思っていなかったが、
 陸凱が国の重臣であり、同族の陸抗が軍を率いて国境を守っているので
 陸凱を除くことが不可能だと判断し、手を下せなかったという。
 そして陸凱は無事に生き延び、建衡元(269)年に72歳で病死。


 超余談。
 陸凱の息子の陸イ(示+韋)は
 「彼の統率の才には魯粛でさえも及ばない」と華覈に称賛されている。



***



ってことみたいです。
征西将軍、征南将軍のあまりのマイナーっぷりに泣きそうになりましたが
征北将軍メンツの輝かしさに感動したのは言うまでもありません。

つまり、呉において征北将軍って輝かしい役職なのかもです。(こじつけ)


これで安心して四征将軍ライフを送れそうです!
魯粛さんが死んじゃってからろくに無双Online遊んでないけど……


三国時代も終わりのほうになってくると、
呉書のトンデモ度が増してくるのでおもしろいですね。
しかし『晋書』と照らし合わせないと全体図が分からないので
けっこう疲れます。晋書は完訳がないから手探りで原文読むしかないし。


でも久しぶりに漢籍●子文献に入り浸れたからしあわせでした。