#152 アーメダバード | かふぇ・あんちょび

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このカフェ、未だ現世には存在しません。

現在自家焙煎珈琲工房(ただの家の納屋ですけど…)を営む元バックパッカーが、

その実現化に向け、愛するネコの想い出と共に奔走中です。

 ここまでの僕の旅のかたちとでも言うべきものは、だいたい200~300キロくらいの距離をバスで移動してはその町を何日か(時に、何週間か)うろうろするというもので、がんがん移動距離をかせぐ訳でもなく、一ヵ所にドップリとはまり込む訳でもなく、まあ、なんというかそんな感じであった。

でもこの時は結構ハードに移動した方なんじゃないかと思う。


 ジャイサルメールとアーメダバードをつなぐ路線はマイナーなようで、バスは公営の夜行バスが1日1本あるだけであった。

旅のガイドブックを持っておらず、インド情報といえばパキスタンの山奥の本屋で買った英文のインド地図のみであり、宿のベッドの上なんかにこの馬鹿でかいインド全図を広げて次の行き先を適当に探すので、たまにこういう事になる。


 公営のバスは外見がボロッちかったが中のシートなんかはしっかりしていて、シルクロードで苦しめられた中国のバスよりずっと乗り心地が良かった。

一番前の座席がとれて、おお、これはフロントグラスから前が見れていいぞ、なんて喜んでいたが、走り出してようやく今までのバスの旅の教訓を思い出した。


 ああー そうやったわ ココはエンジン音がすごくて眠れないのよ…


 それでもとにかく、バスは夜明け前にアーメダバードのバススタンドに到着。


 同じバスには何人かの西洋人バックパッカーも乗っていて、皆僕と同じようにゴアを目指していたのであるが、彼らはバススタンドに到着するとさっさとオートリキシャを捕まえ、駅や空港へと移動して行ってしまった。

 まあ、そうだろう。

 麗しの楽園ゴアはまだまだはるか南だし、空路、鉄道、長距離バスの選択肢があるならばそうするのがしごくマトモではある。


 そしてここに僕だけの問題があった。

 3ヶ月前の8月にシルクロードの起点である西安を発ってからここまで、途中ドイツ人の車に同乗もしたが、一応道の上を旅してここ天竺へと至っている訳である。

まるで 『深夜特急』 の沢木耕太郎みたいだが、


 ここはバスしかないやろ!



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 ・・・今となってはそんなのどっちでもいいように思うが、まあ、わからなくもない。


 バススタンドのチケット売り場で聞いてみると、ボンベイ行きのバスは午後9時発、160ルピーのようだった。

バススタンド前のエージェンシーでは午後8時半発、150ルピーのバスがあるという。

時間はまだ早朝なのだが、落ち着く宿を探す前にバスが見つかってしまったので、まあいいか、とその日の夜に次の町を目指す事にした。


 バスの出る夜までやたらヒマなのだが、切符を買ったエージェントは 荷物は預かれない と冷たいので、ザックをしょったまま街をウロウロ歩き出してみた。


 朝のアーメダバードの裏通りは、路地端でまだ寝ている人々や、その寝ている人のまん前で道路にうんこをしている子供なんかがいてとてもさわやかだった。

その子どもはうんこをしながら ハロー! とかいって僕にニコニコと声をかけてくるので、僕も ぐっどもーにんぐ! と元気に挨拶を返すのであった。


 大きな通りに面してベンチと水道のある場所を見つけたので、ザックを降ろしてしばらく腰を据える事にした。

 水道で歯を磨き顔を洗い、ベンチに腰をおろして本を読んだり、手紙や日記を書いたり、目の前の通りを歩くパンジャビードレスの女の子たちに写真を撮らせてくれと頼んだりしながらヒマをつぶした。

荷物は重いし昨夜は夜行バスでろくに寝ていないし今夜もまた夜行バスに乗るのだし、もう街を歩く元気がないのである。


 もちろんそんな僕を通行人のインド人の皆さんが放っておくはずもなく、ベンチの周りには常に見物の人だかりができていた。

そしてどっから来ただのどこへ行くのかだのの恒例の質問タイムが延々と繰り返され、まあ退屈はせずになんと午前中いっぱい僕はそのベンチで過ごした。


 お昼にはバススタンドに戻り、食堂でカレーの味のするサンドイッチを食べ、午後は待合所のベンチでザックを枕にウトウト寝て過ごした。


 Shoe polish! とスニーカーを履いている僕に果敢に声をかけてくる靴磨きの子どもや乞食のひとたちに何度も突っつかれて起こされるのでろくに眠れず浅い眠りの繰り返しであったが、それでもゆっくりと時間は過ぎてゆくのであった。



 ・・・以上がアーメダバードの思い出である。


 今となっては、おそらくもう二度と訪れる事のない遠い異国の町で、なんとももったいない時間の使い方をしたという気もしないでもないが、僕の旅は大体こんな感じの事が多かったように思う。