6/2 瀬戸市馬ヶ城水源地 見に行ってきた。 | ちょっとその辺行ってくる!

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中の人のネット環境が絶賛崩壊中なので更新は不定期。
即時の反応は出来ません。

この日は天気が不安定で朝は雨、
止んで雲が薄くなった思ったら昼頃にも雨。
その雨が止んで天気が少し回復したので


鍋屋上野浄水場のなごや水フェスタを見に行くことに。

市の有形文化財の建物を見て
物販の木曽三川マルシェを眺める。
名古屋の水道の水源の木曽川や支流沿いだけでなく
木曽川に面してない飛島村や揖斐川町のブースも。
長野県と岐阜県の自治体が7軒ずつ。

水の飲み比べは
水道水とミネラルウォーターの飲み比べ。
これは簡単だよね。
添加しなくてはいけない塩素の風味なのか
何かしらの臭みのようなものがあるよね。

建物3階程度のテラスに上がれるので

そこから緩速ろ過池を見下ろすと

こんな感じ。

 


時計を見ると13時半過ぎで天気も持ちそう。
瀬戸まで行けるなと東へと向かう。
途中、道との遭遇で出発地点だった場所を通り、
犬を飼ってる家の柵に貼ってある手紙を読む。
坂を避けたがる性質なんだけど
今回通ってる瀬港線は台地に上がってしまえば
比較的長い下り坂が待ってるのに気づいて
臆することなく瀬港線を突っ走る。
晴丘交差点を越えて下り坂にさしかかる。
左側にあった工場が更地に、
名古屋のラーメンチェーン店の新店が出来るとか
ゲーム屋がコンビニになってるわとか
通るの久しぶり過ぎて小さな新発見がある。


旭街道を越えて次の信号交差点で左折し
路地を抜けて愛知環状鉄道高架辺りで瀬戸街道へ。
尾張瀬戸は末広町商店街側を通り、
適当に瀬戸川のある左へと進みながら街道に復帰。


道が左にカーブした先の信号の向こうの路地へ。
急坂を上って馬ヶ城水源地へ。


入口入ってすぐに水の試飲体験。
瀬戸市は3つの水道水が供給されている。

・馬ヶ城浄水場。
市街地の東の山、古瀬戸川の水が水源。

緩速ろ過処理をしている。


・蛇ヶ洞浄水場。
市の北部を流れる蛇ヶ洞川が水源で

急速ろ過処理をしている。


・春日井市と日進市から供給される
愛知用水(木曽川)を水源とする水。

その3つの飲み比べ。
小さめな紙コップでも3杯はキツい。
しかも全部水道水で利き水なんか無理w
誤差だよこんなもん。
天気や浄水場からの距離で変わりそう。
でも一番飲みやすいと思ったのが

愛知用水の水だった。
名古屋市の水道水と同じ木曽川が水源だから?
飲み慣れってあるのだろうか。

鍋屋上野を思うと小さなろ過池。

今回、

途中にある管理棟の見学はなし。
さっさとダムを見て上がって戻る。
馬ヶ城ダムは6月第1日曜日にしか公開されない
水源地内にあるダム。

馬ヶ城ダム。
表面の凹凸が規則的な白い鱗紋様を描く。
道中に見た川は濁っていたので
水位高めで洪水吐からの落水は激しく
白い鱗も濁っているかも?と期待したが
過去2度見に来てるが


今回一番水量が少なかった気がする。

貯水もあんまり雨の影響受けてなさそう。

見学を終えて
窯垣の小経へ行ってみることに。
今回、小学校グラウンドを駐車場として開放せず
遠方からの自動車での来訪者が苦心したろうが
窯垣の小経の駐車場はそこそこ空いていた。


水源地までは2kmくらいかな?

『至赤津』の少し上辺りが馬ヶ城水源地。
ほぼ離合困難な路地の中だから知らないと来れないか。

窯垣の小径の印象的な景色は


これになると思うんだが、
この壁、実はそんなに高くなくて
右端で地面から2mあるかどうか。
道幅もすれ違いが難しいくらい。
(でも面白がって自転車で突っ込んでるw)

小径から目線の高さくらいにある屋根の上で

猫が寝転がっていて、

写真撮ってたら起こしてしまった。

末広町商店街を抜けて

また猫が寝転がってる写真を撮ってしまった。

ぎんざ商店街と抜けて
古い道筋を通って新瀬戸駅の先で
最近守山区まで繋がった道の方へ出て
水野駅を過ぎた先で右折。
瀬戸高校のある山の東側の住宅地の斜面で
ヤギを使った除草が行われてるらしいので見に行く。

公園の上の斜面に小屋を作ってある。
斜面に沿って階段があったので
上がってみたら

小屋の陰にヤギが4匹居た。
吊された薄いサーモンピンク色の固形物は
ミネラル補給の為の岩塩なのかな?
 

 


住宅地から出て更に坂を上がる。
目の前をフラットバーロードの女の子が
立ち漕ぎで狭い歩道を上がって行く。
あんまり速くなさそうだと思ったので
路側帯のない車道の左側に出て追い抜くと
その子は自転車を押して上がり出してた。
この程度の傾斜を下りて上がるの??
瀬戸市の坂では緩い方だろここ。

スポーツ車の推定地元民、

そんなヤワでは瀬戸では生きて行けないぞw


坂を上がった先の信号丁字路を直進し


愛知県森林公園へ。
舗装されてるところで遊んでる親子が結構いた。
GWにイノシシが出て人が襲われた公園なんだが?


公園に沿って走る

夜は避けたい雰囲気の道で

大道平池。
イノシシはこの池に落ちて溺死した。



そのまま中志段味へ抜けて
東名高速守山PA方面に。
小雨が降ったり止んだりして来たが無視して
春日井市方向へ下って密蔵院という寺へ。

 


天台宗医王山薬師寺密蔵院。
創建は1328年、開山者は慈妙上人。
密蔵院の院号は後伏見院から下賜された。
僧侶となる為の儀式、
栄西の創始した葉上流伝法灌頂を伝える寺として
(密蔵院流、篠木流伝法灌頂とも呼ばれたとか)
最大で700の末寺、36坊の塔頭を持ち
3000人の学僧を輩出した修行道場だったそうだが
今では見る影もない壮大な内容。
戦国時代には勢いは陰りを見せて 
織田信長の比叡山焼き打ちもあれば
天台宗の勢いは削がれるよね。


寺らしい建物の前には
軒並み市指定文化財の看板が立っている。

お堂、

宝物殿、

井戸、戸のない総門…。
壮大な説明文と不釣り合いに感じるのは
京都の大寺院を見過ぎたかな?w


多宝塔は

『国指定重要文化財』とあった。
これもオークションに出されるかも知れないらしい。
(唐風)禅宗様式が多く用いられてるそうな。
…禅宗?

上記した栄西って日本の臨済宗開祖、
鎌倉時代の東大寺大仏修復の栄西か??


元三大師堂なるお堂もある。

元三大師は比叡山座主 良源という僧侶で
慈恵大師、豆大師、角大師などの別名もあるが
1月3日に亡くなったことから元三大師と呼ばれる。
変化して疫病神を撃退した伝承があり
その時の姿を描いたとされるお札は
今も厄除けのお札として信奉を集めている。

山号が医王山で寺の名前は薬師寺。
本尊が薬師如来で疫病除けの伝承がある大師のお堂、
宗教が病気の予防と治療になるとされた時代の寺は
現代には不要なのかも知れないが、
塔頭を抱える大寺院だったなら
区画整理で更地にされた場所にも
かつては寺や宿坊が建っていたかも知れない。
その調査などもあって開発が進まず赤字となったなら
200年あったかどうかの過去の栄光の遺物が
結果的に現代で本山の寺を苦しめていることに。
創建700年を目前に、
風前の灯となったのは栄枯盛衰か。

 

こっちは県道挟んで反対側。

未舗装の道路が途中で途切れてたりで

区画整理が全く進んでない場所もあって

視線が通らないほど草が生い茂ってたりで

まだ密蔵院側の方が進んでる気がする。

 

こっちは誰が痛い目を見るんだろう?