出発は13時ちょっと前。
エアポートウォークへ行ってフリーペーパーをゲット。
3階ステージでは東海・女子大生アイドルパフォーマンスとある。
アイドルのコピーダンスパフォーマンスをするサークルのステージショーらしい。
ニコニコ動画で流行ってた踊ってみたを大学生がサークル活動にした感じか。
適当に走って岐阜県各務原市の川島町を目指すが
途中で盛大に無駄なルートを選んでしまってる…。
信号待ちを避けて迂回なんて気力体力が充実してる奴がやることだよね。
岩倉市の五条川沿いに、名神潜って少し西に移動してから北上し江南市へ。
久昌寺。
戦国時代に織田信長の家臣として成長した生駒氏の菩提寺。
元々は応仁の乱を避けこの地へ避難してきて土豪となった一族で、
織田信長の側室の吉乃は3代目当主・生駒家宗の娘。
同時代に信長・秀吉に仕えた生駒親正がいるが
親正は生駒宗家の2代目の娘婿として生駒姓を許された分家の家系。
そっちは関ヶ原の戦いで息子の一正が東軍に与して大名となった。
生駒石造群。生駒宗家の墓地。
墓石の配置。
初代から左に子孫の墓が立っている中、
初代の右に立っている吉乃の墓に凄い違和感…。
父母と共に眠っているならともかく別に墓石があって
設置場所が初代より上座とも言える位置なの??
花があるのが吉乃の墓。この扱いが信長が寵愛した証なんだろうか?
400mほど西に荼毘にふしたとされる場所もあるらしい。
川島町を横断して岐阜県本土側の堤防越えてすぐ、
米野の戦い跡。
関ヶ原の戦いの前に起きた戦いの1つで
西軍の織田秀信は兵を分散して防衛線を敷いたが
東軍の大軍に容易く突破。後詰に居た隊も撃破され大敗。
更に東軍の竹ヶ鼻を攻めてた部隊も合流。
堅固な山城のはずの岐阜城は翌日には開城する。
古戦場であることを示す看板はここにあるが
こっから本番。
文化遺産カードの図柄の場所へ。
笠松町の文化遺産カードはだいたい県道178号に沿い。
路地の中の光得寺とイチョウの大木は
ストリートビューで予習したが迷ったものの、
光得寺の梵鐘、
「愛知県春日井市高田寺」とあったが
旧・西春日井郡師勝町、現在は北名古屋市の高田寺だろうな。
史跡巡りしてるとこういうちょっとした間違いをたまに見つける。
歴史に詳しいからと言って細かい地理に詳しいとは限らない。
去年夏に撮っといた北門真の地蔵様の画像もちゃんとある。
川並奉行の墓は木曽川堤防上、JR東海道本線にも近い寺だった。
鉄橋と高架の切れ目の切り通し。
人造石の石垣と鉄筋コンクリが並んでて新旧の構造物の見られて楽しい。
笠松町には地方競馬場の笠松競馬場もある。
オグリキャップがここから中央競馬へ出たことで有名だが
厩舎と競馬場が離れているのかそれを繋ぐ
馬用の道がある。
押しボタン信号のボタンも馬に乗ったまま押せるよう
高い位置にも設置されている。
最後に図柄であり配布場所の笠松町歴史未来館へ!!

入り口看板。車寄せにロープかかってる…?
改装中につき休館…だと!?
唖然として立ち尽くした…。
運がなさ過ぎる。もうやることがないんで帰るしかない。
一応、用があるならインターホンを押すよう書いてあったが
土日の連絡先として電話番号が書かれていた。
…ということは中に誰もいないだろうわけで、押さずに踵を返した。
帰り道の足取りが重い、向かい風なのもあるけど本当に重たかった。
帰り道に2時間。全体では約5時間。
走行距離はザックリ見積もって70kmくらい。
ついで。
この正面、コンクリで固めた盛り土のような上を道が横断していてこの道はその下を通っていた。
この上を通っていたのは岩倉市の通称・名草線だったっけ?県道63号名古屋江南線。
それの拡幅の邪魔だった県道149号浅野羽根岩倉線を越える部分、
旧・名鉄一宮線の跨線橋だった部分が撤去されてた。
前に来たのは少なくとも3~4年前くらいかな?景色が一変してて驚いた。










