たまに会話の中で「飽和している」って言葉が出てきたりする。

(例:「音楽業界はもう飽和しきっている」など)



意味合い的には、なんとなくわかる。



なんか、いっぱいいっぱいな感じは伝わる。



でも、「そもそもの『飽和』って言葉の意味とちゃんと合致してるのかな?」と疑念を抱いた。




よく、意味を調べてみたら普段使う使い方と、本来の意味が真逆になってしまっている単語などがある。



別にそれを調べてとやかく言うつもりもないけど、知ってた方が楽しい気がする。
もし、本来の意味とズレていたりすれば、得意気に会話の中で使ってる人を見てニヤニヤできる。


……(・∀・)


そんなわけで、意味を調べてみた。




ほう‐わ〔ハウ‐〕【飽和】
 含みもつことのできる最大限度に達して、それ以上余地のないこと。



うん、まぁ想像していた結果通りだった。
なんのドンデン返しもなかった。



今回は収穫なしであった。




しかし、思いがけぬ収穫はあった。



『飽和』の使用例として、とある書籍の一文が紹介されていたんだけど



その一文になんだかとても惹きつけられた。



有島武郎という小説家の一文で



「光に飽和した僕の眼にはそこは真暗に見えた」



というもの。



光っていう明るいものが真っ暗という真逆な結末に繋がるのがなんか好きだなと思った。



作品を読んだわけじゃないので、どんなシーンでこうなったのかわからないけど



この一文だけでキュンとなった。



ネット辞書の例文がきっかけで知らなかった小説家に興味を持つというなんとも妙な体験は収穫であった。



俺はまだまだ飽和しそうにない。