7月28日(日)☀️ 21(!)歩、筋トレサボり
朝飯は自炊。ご飯。
昼飯も自炊。ご飯。
晩飯も自炊。ご飯。
買い物はなし。今週の買い物は、水曜に西武で2726円、土曜にスギ薬局で2732円、西武で3000円。合計8458円。家計簿は毎週こうやってつけているけど、集計を全然していないな、そういえば。
朝は6時に起きた。ささっとご飯を食べ、新聞を取りに行って、ベランダで読んだ。コーヒーを飲みながら。アイスはおあずけにした。昨日ちょっと甘いものを食べすぎたから。新聞を読み終わり、部屋に入る。今日も暑くなりそうである。しかし、どこへも出掛ける予定はない。これが本当の休日だと思う。料理だけはちょっとやる必要がある。それは仕方がない。昨日サボったのだから。
朝の涼しい間は、読書をした。ベランダでクイズの本などを読んでいた。10時になると、暑くなってきたので部屋に入り、エアコンの効いた涼しいところで料理をした。ゴーヤーの佃煮、マカロニサラダ、春雨サラダ、ひじきの煮物などを作った、これで1週間近くは持つだろう。11時になり、ちょっと早いけれど昼飯にする。食べたら、今度は部屋のなかで読書をした。ところが眠くなり、椅子に座りながらうとうとしてしまった。起きて、また料理などで気分転換をしながら、本を読んだ。3時になり、洗濯を始める。ちょっと遅いけれど、ベランダに出て洗濯物を干した。遅いけれど、まだまだ十分乾くだろう。干しながらその横で読書をした。そして部屋ではルンバを回した。これこれ、これが日曜の至福である。
5時過ぎに夕食を食べる。昼が早かったので、夕食も早いのである。食べたら、風呂に入り、洗濯物を取り込み、あとはブログを書いた。2回分書いて遅れを取り戻す。終わったら布団を敷いて寝た。1歩もマンションから外には出ていないので、歩数が21となるのも納得である。ではコラムを。
■思考のハギレ(890) 利口さを備えて、損を得に変える
甘い話に乗せられてしまって、結局うまくいかなかったり損をしたりすることがある。そんな時は「失敗した。ちくしょう!」と相手を恨んだり呪ったりする。もちろん自分でも反省するが、金銭的に損を被ったとき、「まあいい、高い授業料だと思うことにしよう」と前向きに捉える人もいる。これはなかなか立派な姿勢だと思う。
授業料と言っても、実際にそんな授業があるわけではない。「しくじり先生」というTV番組があるが、あれをお金を払って受けるようなイメージが近いかもしれない。しかし、もちろん実際にそんなものはない。金銭的に損を被ってしまった事実は揺るがないのだから、次にそのような失敗をしないように、心にしっかり刻んでおくことが重要だ。それを「授業料」だと言っているのである。
フロードという人の言葉に「ミステークは、しばしば最上の教師である」というのがある。たしかに、人に教えられるよりも、自らが経験したことは、最良の教師になりうる。教師であるからには、授業料も払わなければならない。他人に損をさせられたのを、ずっと他人のせいにしていては、いつまでも心のなかにもやもやが残る。それを、自らの意思で払った「授業料」ということにしてしまえば、もやもやも残らないから、すぐに前を向ける。次はきっと同じ轍は踏まないだろう。
フランスのモラリスト文学者、ラ・ロシュフコーは、「どんな不幸な人生からでも利口者は何らかの利益を得る」と言っている。利口であれば、不幸からでも利益を得ることができるのは、ひとえに考え方が上手だからだ。失敗して金銭的に損をしてしまっても、「授業料」に振り替えることで、損が消えるのである。いやそれで、次に来るであろう何倍という損害を防ぐことができたのなら、損が消えたどころか、元は取れたことになる。そういう「利口さ」を備えることも人生にはきっと必要だ。